畏友と電話で話をしていて、「うっそり、って意味わかる?」と質問を受け、「うっそり、とは、名詞としては、ぼんやりしていること、ぼんやりしている人のことであり、副詞としては、ぼんやりしているさまですね」などと答えられるはずもなく、「いま初めて聞きましたね。うっそり、は知らなかったです。どういう意味ですか?」と間髪を入れず聞き返しました。
翌日、さっそく職場の人たちに、「昨日初めて聞いたんですけど、うっそり、って言葉、知っていますか?」と訊ねてみると、「知らない」とか、「何のこと」とか答えられ、意味を伝えると、「この年になって初めて知った」と一様に答えたあと、「知らんと思ってバカにしているのか」と冗談交じりに抗議をしてきたり、「難しい言葉知っててすごいねえ」などとその人なりの反応がありましたが、さらに、司馬遼太郎の文章の中で見つけた「物事の起源という意味の『濫觴』はどうですか?」と訊ねてみると、「そんなもん知るか!」と一様に憤慨されてしまいました。
「濫觴」はともかくとして、「うっそり」を知らなかったことにはいささかの恥ずかしさも感じますが、高い学識を求められているわけでなく、世間一般的な水準と思われる職場の人たちが知らなかったのも、ごく普通のことであって、何ら責められるわけでもなく、おそらく、知らなかったとしても生活には何の支障もきたさず、知ったからといって何ひとつ得があるわけでもなく、今後、一生のうちに、口にすることも、耳にすることも、目にすることもないと思われます。
どんなつもり訊ねてきたのかいぶかしまれ、知らないだろうと見くびっていると不愉快に思われ、知っていることを自慢したかっただけだろうといやがられ、ましてや知らない言葉の意味を教えてもらって感謝されるわけでもないにも関わらず、あえて訊ねてみたかったのは、日本語を完全にマスターしていると思い込んでいるほどめでたくはないにしても、常日頃使用している言葉の数などわずかであって、そのわずかな語彙で過ごして行けるのも、生まれてこの方、日本語の中で暮らしてきたことにもよるのであって、何も考えなくても、意思がとりあえず伝わるところに安住している人たちを、ほんの少しばかりざわつかせたいとふと思いついてしまったからであったとしても、そんなひとりよがりな意図は伝わる道理もなく、「何かわけのわからんこと言ってたな」で片づけられてしまったようです。
「うっそり」は桐島洋子の随筆の中に出てきたそうですが、作家であれば、言葉を選ぶ上で、実感をともなわない浮わついたうその言葉を取り上げるはずもなく、胸のうちでこなれていて、これしかないという表現だと確信して用いていると考えられますが、「うっそり」だけにこだわるのではなく、「文脈」でとらえれば、理解もでき、共感もできるのではないか、と思われるものの、やはり素養も知識もない者の本音とすれば、わかりやすい単語を使ってくれ、と叫びたくもなってきます。