イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

京都国立博物館では、平成知新館で、特集展示「謎とき美術!最初の一歩」が開かれていました。
その中で、とくに印象に残ったのが、天平12年(740)5月1日と最後に書かれたことから「五月一日経」と呼ばれる1300年近く前の古写経で、聖武天皇の妃・光明皇后の発願により、亡き父・藤原不比等と母・橘三千代のために書き写させた一切経であり、天平8年から20年にわたって官立写経所で書き写され、推定では、当時の仏典のすべてであり、約7000巻に及んだと考えられているそうです。
説明によると、経師、校生、装潢、題師と呼ばれる人たちが役割を分担して「国家事業」に当たったそうで、経を書き写すのは試験に合格した字の上手な役人で、「経師」と呼ばれ、うさぎの毛を使った筆で、写経体という楷書で丁寧に書き写し、給料は、1紙=17字×28行、478字を写して5文、1日平均7紙くらいは書き写せたようですが、5字間違えると1文、1字書き落とすと1文、1行17字書き落とすと29文の罰金が取られたようです。
経師が書き写した経を、「校生」によって原本と見比べられ、この確認は通常二度行われ、給料は5紙を確認して1文、1日平均60紙を確認したそうですが、間違いを1字見落とせば4文、1行抜けているのを見落とせば20文の罰金が取られたようです。
「装潢」は経の装釘をする人で、紙を大豆糊でつなぎ、その幅は2mm、紙の表面を叩き、平らにして経を書きやすくして、しかの毛の筆で界線を引いてから、経師に渡し、校生によって確認がなされた経が戻ってくると、軸・表紙・緒がつけられ、巻子本となり、「題師」は表紙にたぬきの毛の筆で経の題名を書く人で、とくに字の上手な人が担当したそうで、給料は1巻2文、こうして出来上がった「五月一日経」ですが、端正な漢字が並んでいるさまは見事というほかなく、給料をもらうためではなく、功徳を積む信仰心に支えられての修行でもあって、墨にこめる思いと、行間から立ち上ってくる息遣いが、1200年以上も前に写経した人々の真摯な生きざまが伝わってくるようでした。