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金沢市西南部にあるチカモリ遺跡は、縄文時代後期から晩期にかけての集落遺跡で、昭和55年に行われた発掘調査では、349点の木柱根が発掘され、とくに注目を浴びたのが環状木柱列で、直径約60cmから90cmのクリの巨木を縦に半分に割り、切断面を外側に向けて直径約7メートルの円形に立て並べたもので、全国には、北陸地方を中心に、石川県能登町の真脇遺跡や富山県小矢部市の桜町遺跡、滋賀県東近江市の正楽寺遺跡など、十数例があるそうです。
おそらくは、何らかの祭祀施設であろうと考えられているようですが、チカモリ遺跡公園を見たあと、その脇にある収蔵庫に立ち寄り、十分ほど話を聞かせてもらった際に、「環状木柱列は、6回立て替えられて、その間隔はおよそ百年おきであり、その場所は一ヶ所、決まったところを掘り起こして、もう一度作り直した。縄文人の寿命を仮に30年から40年としても、三世代に渡って、木の切り出し方や運搬方法、柱列の立て方などを伝承していたはずでも、真ん中の世代は木を切るところも、柱列を作るところを見ていなかった可能性もある」と教えられ、「同じ場所に作りつづけた」ということが強く印象に残りました。
わざわざ撤去する手間をかけてまでその場所に立て直すということは、その場所でなければならない理由があり、かけがいのない場所であることは誰しも考えることだと思われますが、現代における神社のように、その建物自体、社殿の中に祭神が宿っているとして参拝するのではなく、その場所が神聖であるからこそ、普段は一切立ち入らず、寄りつきもせず、祭祀が行われるときにだけ、ムラ人が集い、環状木柱列に神が降りてくる依代であったのであろうと思われました。
神は、亡くなった先祖代々の魂であり、魂は暮らしの場ではなく、遠くの山の頂上か、あるいは空の上にいて、時を選んで降臨するのであって、それはムラに天変地異などの災いが起こった時や病気や飢饉など危機に陥った時、もちろん収穫に恵まれて感謝を捧げる時や子供が生まれて健やかに育つように祈る時など、時とともに、神が降りてこられる場所を予め定めて、おそらくは憑依された巫女が啓示や託宣をムラ人に伝え、その際、アルコール分の含まれた飲料が振舞われたか、打楽器などで単調なリズムを延々と繰り返し、呪詛を唱えたかして、集団のトランス状態で「神」を共有し、集団の結びつきを強め、「ハレ」の日が終われば、「ケ」の日常に戻って、まず第一には生命をつなぐことを考えた上で、よりよい暮らしを目指し、すべてを分かち合って、さまざまな作業に立ち向かって行ったように考えられます。
木もまた生命そのものであり、枯れても、新たな生命が芽吹き、成長し、恵みをもたらし、まさに「生まれ変わり」の象徴であって、子孫に環状木柱列の作り方を伝承したムラ人の願いや思い、志の底には、自分も先祖の生まれ変わりであると信じ、死んだのちに子孫の肉体を借りてもう一度この世に戻ってくると信じ、のちの世に受け継がれることにより、自分は柱列を作らなかったとしても、生きた証を確かに残して、「神」になって、いつかまた舞い降りてくるのだという信仰があったようにも思えてきました。