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「高倉健」の追悼展が西宮市大谷記念美術館で開かれていて、どうしても見てみたいという気持ちが抑え切れずにいたのですが、終了までの最終週にどうにかすべり込むことができました。
映像が主体で、全作品を網羅して、じっくり見て回ったら2時間ほどかかるとの情報はネットなどから得てはいたものの、具体的にどのような形で紹介するのか、テレビモニターにしても、どういう編集がなされているのか、イメージがつかめずにいたのですが、実際に行ってみると、東映ニューフェースとしてのデビュー作から、時系列で追いかけ、作品のほんの一部を切り取って、タイトルのあとに流し、それを3から10作品くらいのまとまりを放映しているテレビモニターの前に立って見る形式で、ところどころに作品の台本やポスターなどの展示があり、見始めたら、いつしか時間を忘れ、「高倉健」の世界に引き込まれていました。
昭和30年代、活況を呈していた映画界が、テレビ受像機の普及によって次第に斜陽になり、東映は昭和38年公開の「人生劇場飛車角」がヒットしたことにより、任侠映画に活路を見出して、任侠路線に大きく舵を切り、昭和39年から高倉健主演の「日本侠客伝」が人気を博し、11作シリーズ化され、さらに昭和40年から「網走番外地」が18作、「昭和残侠伝」が9作とシリーズ化され、仁侠映画=高倉健というイメージが出来上がり、当時の社会状況もあって、広く共感を得たものの、様式化して、ストーリーも硬直していた任侠路線が、昭和48年の菅原文太主演の「仁義なき戦い」がヒットして「実録路線」に取って代わられ、終焉を迎えたのちは、高倉健は新しい地平を切り拓こうと独立プロを起こし、昭和50年の「新幹線大爆破」に出演することで、固定イメージからの脱却を図り、昭和51年の「君よ憤怒の河を渉れ」以降は、数々の幅広い役柄の作品に主演し、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を4回、ブルーリボン賞主演男優賞を2回受賞するなど、日本を代表する俳優として、国内外の映画に主演しました。
高倉健主演の仁侠映画は、同時代では見ることができなかったものの、30数年前の夜間学生時代、友人と一緒に新宿などにあった二番館での三本立てなどの上映に、かなり足を運んで、けっこう面白く思い、痛快でもありましたが、映画館から肩で風を切りながら、粋がって出てくることはなく、ワンパターンであっても、その美学には打たれるものがあり、映画の魅力は「高倉健」という筋の通った人間の魅力であり、俳優というよりは、「高倉健」そのものが行動しているのであって、「高倉健」以外では成立しない世界に酔わされていたのだと、いまとなっては思えてきます。
「幸福の黄色いハンカチ」や「駅STATION」「鉄道員」なども名画であって、もう一度見てみたいと切に思っていますが、個人的に一番好きな映画は何か、と訊ねられれば、「冬の華」と答え、この追悼展でまさに「映画俳優、高倉健の全仕事主演映画全205作品抜粋。たっぷり二時間」を見て、高倉健の全205作品の中で、見た作品、見ていない作品も含めて、一番見てみたい作品は何か、と訊ねられれば、健さんがサーカス団員として空中ブランコなどで活躍する「空中サーカス嵐を呼ぶ猛獣」と即答します。