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屋外にある喫煙所で職員が数人立ち話をしていて、荷物の運搬のために通りがかった時に呼び止められて、「京セラドームってJRの駅から歩いて行ける?」と聞かれたので、「環状線の大正から歩いて5、6分ですよ」と答え、「いつ行くんですか」と訊ねると、「3月30日から大阪へ遊びに行くけど、JRのフリー区間で行ければいいかなと思って」と言うので、「オリックスの開幕戦は京セラドームじゃないですよね」と言葉をつなぐと、「野球じゃなくて、ワンオクのコンサート」と答えたので、間髪を入れず、「森進一ですか」と言うと、京セラドームに行く人は笑って何も答えず、かたわらにいた50代の職員が、「森進一ってまだやってるの?」と怪訝そうに話に入ってきました。
「なんで森進一なの」とか、「森進一はドームでやらないでしょ」と職員同士で話をしていましたが、それには何もつけ加えず、「4月10日にオリックス-楽天を見に行ってきますので、11日は休ませてもらいます」と言って、荷物の運搬に戻りました。
ワンオクのコンサートと森進一の関係性については、知っている人だけがわかる話で、ワンオクのコンサートと聞いて、「ああそうですか」とか「いいですね」などと受け流してもいいところであっても、やはり何かひねりを入れた一言を返したいと常々考えているために、余計な言葉をつけ加えてしまうのですが、当然ながら思わしい反応ばかりではなく、きょとんとされるのはまだいい方で、意味不明と怒り出す人や、わけのわからないことを言い出す頭のおかしな奴と受け取る人もいて、相手を見極めて言葉を発しないと、露骨にいやがられるだけなのは承知していながらも、つい口走ってしまうのは、10人にひとりくらい理解してくてる人がいて、さらにその中のほんの一部の人とは話がうねり始めて、次から次へと言葉が飛び出してきて、さながら上質な映像が自分のまわりを包み込んでいるかのようなめくるめく言葉のやり取りができて、大笑いできたり、充足感を得たりできるために、まったくどうでもいいわかりにくい言葉を返してしまうのも、やはりある種の病癖かもれません。
ワンオクのコンサートに行くことは100パーセントないとは思われますが、仮に「ワンオクのコンサートに行く」と発言して、「森進一?」という反応が帰ってきた場合、「じゃがいもの会じゃないですよ」とか、「親子コンサートでも昌子はきませんよ」とありきたりに答えるか、「紅白のトリの時みたいにチャックおろしたまま歌いますかね?」とか、「古稀コンサートなんでノリを超えて暴れてくれますよ」とか、「川内康範もいなくなったんで思い切り歌えますね」などと真に受けたふりをして答えるかは、相手にもよるとはいえ、一般的には、あまり受け容れられない会話のような気もしてきます。
学校であれ、職場であれ、話の合う人がごくまれにしかいない人生を過ごしてきましたが、別に友人知人の多さを誇ろうとも思っていないし、他人に媚びてまで受け容れられようととは微塵も考えていないため、100人にひとりわかってくれる人がいればそれでもう充分過ぎるほどであって、過去に、「笑えない冗談ばかり言う人」とか、「変わったことばかり言う人」などと不評を買ったことも織り込み済みであり、ごくごくたまに、「家に帰ってから言っていたことを思い出して、わかった瞬間笑い出してしまい、家族から不気味がられた」とか、「聞いた瞬間はそんなバカな話はないと思ったけど、いろいろ考えてみると、そういう見方もあると思えてきた」などと言ってくれる人もいて、それ以上の喜びはなく、おそらく、くたばるまでばかばかしいことを言いつづけるのだろうな、と呆れています。