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地方都市の駅前に降り立ち、閉鎖された巨大な商業施設のビルに出迎えられることもたびたびあるため、最近では驚きもなくなってきて、「ああ、ここにもかつてにぎわいのあったデパートやスーパーの記念碑が建て替えられずに残っているのか」などと、感慨というよりも、確認するような感じで見上げるばかりで、人口が10万人以上あるような街であっても、駅前に人通りがほとんどないことにも慣れてきました。
三原市の人口は、市役所のホームページによると、平成30年2月末現在で95542人、こだましか停車しないとはいえ、新幹線の駅があり、山陽本線と呉線が通り、駅から300mほどの三原港からは、しまなみ海道の開通によって本数は激減したものの、因島などへの船便は残されていて、公共交通機関に関しては利便性が高いと思われるのですが、午後8時頃、こだまに乗って三原駅にきて、予約してあるあるホテルに宿泊するため駅前ロータリーに出てみると、バスやタクシーの姿はなく、人影もなく、時折通り過ぎる自家用車はあったものの、、信号を守らずに大通りを渡って行けました。
三原国際ホテルは、駅前にあるペアシティ西館の7階ということで、すぐにわかるだろうと住所をメモせず、地図も覚え込まずに、何の情報もなくやってきて、想像した通りに駅前にそびえ立っていましたが、西館というわりには、東館が見当たらず、駅前の広場に設置されている瀬戸内三原築城450年を記念する城の形のイルミネーションが、誰も見ていないというのがもったいないくらいの見事さで光り輝き、きらめきを放っていて、ペアシティ西館は、かつて商業施設であったことをしのべる建物のつくりであって、おそらく百貨店かスーパーの入口と思われる場所には「三原歴史館」という看板があり、2階から4階までは役所関係の施設が入居していて、ホテルは、1階の一部がフロントで、6階は宴会場、7階は客室となっていて、ホテルの廊下や客室には、昭和の香りが満ち満ちていました。
帰宅してから、調べる必要もそれほどないにも関わらず、ネットで検索してみると、ペアシティは、昭和56年、三原駅前の専売公社の跡地を、市施行の再開発事業として、天満屋をキーテナントとする東館と、ニチイと三原国際ホテルを核とする西館が開業し、オープン当時はにぎわいを見せたものの、平成11年にニチイが撤退、平成18年に天満屋が撤退したことで、東館は東京の不動産会社に買い取られ、建物が取り壊されながら、再開発計画が頓挫し、平成21年に市が購入、現在市民広場になっている跡地利用をめぐって交渉がつづけられてきた結果、10階建てのホテルと、スーパーや保育所などが入る商業施設の官民複合施設を建設することで合意、事業契約を結び、来年4月着工、再来年7月の開業を目指すようです。
ペアシティの衰退は、平成11年に西瀬戸自動車道・しまなみ海道が開通して、芸予諸島との航路が激減し、利用客が減少したのが原因とされていますが、ニチイはその3年前に撤退しているのであって、三原に限らず、地方においては、自家用車の普及によって、人の流れが大きく変わってしまったところに、少子高齢化による街自体の活力低下がじわじわと進展して、気づいた時には立ち行かなくなってしまい、中心市街地ににぎわいを取り戻す有効な手立てもなく、市民には選択肢がいくつもあり、便利で快適なところにしか足を向けないのであって、郊外のモールのように広大な無料駐車場を備え、魅力ある店舗が軒を連ねるようでなければ、行政主導の中心市街地活性化は題目を唱えるだけに過ぎず、魚のいなくなったところにえさをまきつづけるのは、固定資産税を高止まりさせたいだけで、費用対効果は疑問であり、自分の資産でもないし、自分の腹が痛むわけでもないし、適当にポーズを取って仕事をしているふりをして、後任に引き継いで行けば、誰も文句を言わず、すべて丸く収まるという前例踏襲、先送りの慣例であって、それは役人である以上、逃れられない宿命であって、思い切ったことをしてうらまれないようにする保身だけに終始して、いたずらに時が過ぎるだけという風潮の中で、三原市はかなり思い切った手を打っているように思え、うまく行くようにかげながら祈りたいところです。