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北陸地方が大雪に見舞われているさなか、少しばかり長期の休みがあり、関西空港から仙台空港を往復し、関西空港から成田空港に飛び、新宿から高速バスで松本に行ったのには、「現存12天守を制覇したい」というこだわりがあったためでした。
松本城にはずいぶん前に訪れたことがあり、弘前城や彦根城、伊予松山城などへも、子供の頃や若い時分に行ったことがあったのですが、こだわりとしては、10年以上も前に行って、記憶も薄れているようなところは除外し、それらを新たに登城することにして、2013年10月に難関と思われた備中松山城に行き、現存12天守を回ろうと思い立ってから、少なくとも5年以内を目途に12城制覇をしたいと考えていました。
弘前、松本、丸岡、犬山、彦根、姫路、松江、備中松山、丸亀、伊予松山、宇和島、高知と12あるうち、ほとんどは最寄の駅から歩いて行けたり、バスに乗って行けたり、観光地として目玉になっていることもあって、アクセスしやすいのですが、備中松山城だけは、山城ということもあって、伯備線の備中高梁駅から武家屋敷を抜け、バス通りを通らず、途中に大石内蔵助が腰かけたという大きな石を見たり、休んだりしながら、ようやく登城した以外は、敷地が広くて歩かされるのは仕方のないことで、時間と費用と体力さえあれば、比較的容易に達成できるように思えます。
天正7年(1579)、織田信長が安土城に天下普請によって初めて石垣の上に天守を築いてから、築城技術は各地の大名に伝わり、さらに天正19年(1591)に豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、肥前名護屋城を天下普請によって築城して以降、出兵から帰国した大名を中心に、日本各地に近代城郭が造られ始めると、大坂の陣までに数多くが造営され、築城技術も目覚しく向上しましたが、徳川幕府の体制が固まり、一国一城令が慶長20年(1615)に発令されると、安土桃山時代に3000近くあった城郭が170ほどに激減し、徳川幕府の権力がより一層堅固になって、許可なく新たな築城、改修・補修ができなくなり、天守も新たな造営が禁止されました。
天守という威風堂々とした建物も、居住区間ではなく、おもに物置として使用されていたようですが、天守まで攻め込まれて、篭城戦になってしまうようでは、その時点でほぼ負けであって、そうならないために縄張りに工夫が凝らされているわけであっても、見栄えのいい建物は殿様の権威の象徴であり、威光を露骨に示していて、高いところから睥睨して、民をかしづかせるにはわかりやすい装置であって、ありがたがって訪れるのも骨の髄まで「パンピー」だからかもしれません。