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気温が25度前後で、外套のいらない石垣島から、格安航空会社のピーチに乗って関西空港まで飛び、その日のうちにピーチに乗って、氷点下の新千歳空港に到着しました。
苫小牧のホテルを予約していたのですが、地図や情報をネットで調べてみたところ、繁華街は駅から少し離れた場所にあり、苫小牧駅の周辺には飲食店やスーパーなどが見当たらず、隣駅との中間くらいの線路脇にある巨大なイオンタウンには無料バスが出ているものの、新千歳空港から直接苫小牧に電車で行って、19時半のバスにぎりぎり間に合い、イオンタウンを出る最終のバスが20時発とあっては、食事をして、ビールなどの買物をするには厳しく、空港から千歳まで出て、駅の近くのイオンで食事と買物をして、苫小牧に向かうことにしました。
千歳駅に初めて降り立ち、凍結した歩道ですべって転ばないように気をつけながらイオンに行き、ネットで調べておいた餃子の王将でレバニラセットを食べ、ビールなどを買い込んで駅に戻りましたが、ちょうどよかった電車に乗り遅れてしまい、1時間あまりを千歳駅で過ごす羽目になってしまいました。
21時ころにようやく苫小牧の駅に着き、ネットで調べていた通り、駅前には飲食店や商店の灯りがまったくなく、広い車道にヘッドライトはなく、人がまったく歩いていない歩道を、ホテルの看板の灯かりを目がけてひたすら歩いて行きました。
ホテルに着いても、氷点下の張りつめた空気の中、静まり返っていて、客室に入って一息つきましたが、飛行機を乗り継いで、北海道に飛んでくる間、とりとめもなく、知識も教養もなく、ぼんやりと考えつづけてきたのは、沖縄ではなぜ貝塚時代が長くつづいていたのかということであって、ヤマトでは縄文から平安にかけての時期、沖縄には水田の跡がなく、西暦1200年頃に始まるグスク時代になるまで農耕がなされなかったわけで、北九州では紀元前10世紀後半頃から始まって、じわじわと長い時間をかけて、関東に紀元前3世紀には伝わった稲作が、先島や沖縄で、本来もっと早くに行われてもよさそうなのに、そうならなかったのには、温暖な気候で、冬に備える必要がなく、海でも陸でも食糧に恵まれていて、農耕をしなくても食糧に不足を感じなかったこと以上に、稲作というのは、狩猟採集、漁労などで当座の食糧に困っていない人々を、半ば強制的に、土地の開墾や灌漑施設などを造る過酷な労働に駆り出さねばならず、支配する側には、軍事力か経済力か、何かしらの裏づけのある強大な権力が必要であり、少数派の立場で人々を統率しようにも、支配される側としては、少なくともすぐには食べられないもののために働かされるのはまっぴらごめんであって、納得も理解もできず、抵抗もし、支配者の想定する豊かな実りなどよりも、いまこの場で口に入る木の実や魚の方が間違いなく確かな生命の源であって、そういう共同体においては、人々を束ねる族長の存在は疎ましく、排除されつづけ、その一方で、他の地域と交流はするものの、同化せずに独自の文化を守りつづけられたのには、地つづきで人口密度も島よりは高く攻撃を受けやすいヤマトよりは、島という環境が大きく作用していたのは疑いようがなく、島の自然と祖先を崇拝し、小さな集団の幸福を最優先に暮らしていた人々には、政治・経済よりも、人と人との結びつきを重要視する文化が脈々と受け継がれているような気がして、稲作の始まりがもたらしたのは、今日の格差社会の萌芽であった一面にも思いがいたり、古来の王は稲束を鷲づかみにして、太陽の神と結びつき、庶民にはつらい田植えなどの作業は、祭囃子にのせて紛らわせながら押しつけて、たまのハレの日にはモチやサケを分け与えてケの日々のつらさを紛らわさせて、結局は上前をハネられた大多数の下々の者はわずかばかりのハレの日に楽しみを見出すほかはなくとも、日々の営みという一点においては少なからず安寧を得られたのかも知れず、稲作についてはなかなかまとまりがつきませんでした。