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西宮市大谷記念館をあとにして、村上春樹の母校の香櫨園小学校の前を通り、阪神香櫨園駅に向かっていると、「辰馬考古資料館」への案内板が設置されているのが目にとまり、辰馬考古資料館については初めて名前を目にして、予備知識がまったくなかったのですが、「考古」にもわずかばかりの関心があったため、立ち寄ってみることにしました。
案内に従って行ってみると、立派な個人の邸宅のようでもありましたが、塀には「辰馬考古資料館」の銘板が埋め込まれてあり、ガラスケースにはポスターが貼ってあり、「モノからみたマツリの風景」として、土面や銅鐸、•三角縁四神四獣鏡などによって儀礼・祭祀について考察しようという2017年秋季展が開かれていました。
靴を脱いで、スリッパに履き替えて展示室に入ってみると、遮光器土偶が真っ先に目に飛び込んできて、思わず寄って行ってしまい、青森県の亀ヶ岡遺跡から出土したわりと状態の良好な土偶にめぐり合えたのは、喜びとともに驚きでもあり、ただこれまで知らなかっただけでありながら、そのほかの展示品も含めて、個人の資料館での所蔵品で見られるとは考えもしなかったコレクションの質の高さに、無知を恥じるばかりでした。
ネットで検索してみると、「白鹿」で知られる辰馬本家から分家した「白鷹」の北辰馬家の三代目辰馬悦蔵(1892~1980)が、京都帝国大学で考古学を修めたのちも、在野の研究者として研鑽を重ね、考古資料の散逸や海外への流出を防ぐために私財を投じて保護の任に当たったそうで、三代目悦蔵が収集した考古資料と、悦蔵の祖父である悦叟が収集していた富岡鉄斎作品とを基に、基金を添えて財団法人を設立し、1876年に開館したようです。
酒蔵の経営のかたわら学問に励み、とくに銅鐸の分野での考古学の発展にも貢献した三代目の学識の一端に触れ、志の高い人生に、自分にはまったく及びもつかないながらもあこがれを抱きました。