


職場の人たちとも、「給料日だから飲みに行こうか」とか、「明日から休みだからちょっと一杯やって行こうか」などと、昭和の時代に働き盛りを迎え、同僚と一献傾けることが習慣としてしみついている嘱託の人たちの誘いを受け、やきとりの名門やお好み焼きの全国チェーン店などで飲み食いをともにする機会はありますが、野球や旅行の話題になることはあっても、表面的な浅い話に終始して、踏み込んだ話や突っ込んだ話には反応が鈍く、うねりとなって盛り上がらず、結局は仕事がらみ、「人」と「金」の話に収斂され、大して聞きたくもない内輪の話で堂々めぐりになって、尽きたところで解散という流れがいまひとつ興が乗らないところであって、それならばと縄文時代や弥生時代、古墳時代の話、映画や小説、演劇の話を持ち出したところで、一同を白けさせるだけであるのは十二分にわかっていて、少なくとも、職場の仲間として同調してやって行くためには、自分を抑えることも身過ぎ世過ぎに必要な処世術のひとつであり、自分にとって面白いかどうかは二の次という気がしています。
年齢を重ねてくると、趣味や嗜好が似通っていて、忌憚なく話のできる新しい友人などはできなくなってきますが、それには自分の置かれた身分や立場、収入、自由になる時間などが大きく反映して、格差のある人とはとても付き合えないし、何かと気を使うのも面倒になってきて、もう人付き合いは縮小したいという気持ちになっているのも本音であって、以前付き合いのあった廃品回収業界の重鎮のように、政治家や弁護士、医師などと幅広い「マブダチ」の付き合いがあることを自慢できるようなバイタリティはなく、借金取りに追い込まれたら、魅力あるひとかどの人物がつまらないことでつぶれてしまわないようにと弁護士がすかさず駆けつけてきて救済してくれたり、大学教授をはるかに超える知識と見識の高さを評価されて政治家に目をかけられたり、趣味のレベルの高さにほれ込まれて、いろいろ教えてやって、酒を飲みに行ったらあまりの話しの面白さに時間を忘れて多忙な医師と話し込んだり、素晴らしい超一流の「マブダチ」との交流をとくとくと語られても閉口するばかりであっても、還暦間近で拡大できるのはとてつもなく人間的魅力にあふれた超一流の人であって、相手からも喜ばれ、桁違いに人生を楽しめる人というように思えます。
今回も、3泊ほど関西で過ごし、甲子園や京セラドームなどで野球観戦をしようと考えていましたが、30年来の友人は、ひいき球団以外の野球観戦をあまり好まない志向の人であり、無理強いするのも気が引けて、ひとりで見て回って帰りました。
もちろん、この一日は終電が気になって、あわてて駅に走るほど存分に楽しめた上に、多少大仰な表現をするならば幸せな時間を過ごさせてもらいましたが、これまで学校に行っても職場に行っても、その場でひとり話の合う人がいればいい方で、人生で友人と呼べるような話のできる人が片手で数えるほどであり、高い知識と教養で教えてもらうことが多く、きわめてストライクゾーンの狭い偏屈な話に同調してもらえるのもまさにありがたいことであり、再びのナニワの夜を過ごせることを願っています。