


SUPER FLEXは、21世紀美術館の紹介によると、「コペンハーゲンを拠点として活動する3人のアーティスト・ユニットで、現代社会における既存の制度や枠組みに言及しつつ、コミュニティに対して働きかけ、新しい公共空間の創出を提案」しているそうで、「今回は、金沢21世紀美術館の建物を『シャーレ』に見立て、コミュニティとの関係を、『培養』『発酵』『醸成』の3つのキーワードで読み解く、約1年間にわたるプロジェクトに取り組みます」ということで、アスファルトの固まりがゆっくり溶ける様子を観察する装置、1500個のシャーレに寒天床を作り、展示室内の微生物を採取し、培養する装置、展示室内で除湿機を稼動させて採取した水で紅茶キノコを製作する装置を置き、金沢・美術館・コミュニティについて考えているようで、そう言われても、素直に「はい、その通りですね」と答えるにはいささかのためらいと困惑はぬぐい切れず、わかったようなわからないような状態にしておくのも混乱するばかりで、何となく不快であり、「何言ってんだ、バカヤロー」と怒鳴り散らして、会場をあとにするのが、最も誠実な対応ではなかったかとすら思えてきます。
上手な絵画を描くとか、心に響く写真を撮るとか、端正な文章を書くとか、見事に楽器を演奏するとか、華麗に舞い踊るとか、誰にでもわかりやすい卓越した才能を示してくれるのであれば、無条件に賞賛してもいいのですが、もはや現代はその領域から大きく逸脱して、新たな地平を求め、切り拓いて突き進んで収拾のつかない方向に拡散していて、たとえ大量生産の便器にサインしただけのものであっても、たとえ青いキャンバスに白い線を引いただけであっても、たとえ粗大ゴミ置場から拾ってきただけに見えるものであっても、美術館に展示された瞬間からそれらは美術品なのであって、極論すれば、たとえゴミや石ころ、落書きであっても、日本においては博物館法に定める学芸員が美術品と認定し、稟議を経るなどして買いつけ、展示したとするならば立派なアートであり、SUPER FLEXの場合も、当然学歴は申し分なく、幅広い見聞や深い知識から、美術について学識も高く、これまでの事績も評価され、「ツール」として考えられている作品を元に、訪れた人たちに「哲学」させて、ギャラを得ている芸術家集団、と金沢21世紀美術館に認められていることを踏まえた上で、文脈を考えたならば、美術館に集まってくる人たちはそれなりにアートに興味を持っているのだろうから、シャーレをひっくり返すなり、紅茶キノコを飲んでみるなりして関わって、相互理解を深め、金沢や美術館を「芸術の温床」にしましょうよ、ということかもしれず、納得できれば携わってみるのも「芸術活動」という気もしてきます。
現代アートは、必ずしも美しさや感動を求めているのではなく、従来からあるものに対する疑問や批判の投げかけであって、既存の価値観をどれだけ打ち壊すことができるのか、そして新しい価値観を打ち立てることができるのかが問われていて、まさに破壊と創造、他人の価値には合わせることのない、芸術家個人の中から沸き上がってくる創作意欲と表現方法のみが評価の基準であり、ほとばしる熱量の大きさが見る者を圧倒した時に、何だこれは、と思索が始まって、意味も見出されてくるはずです。
わけのわからないものを見せられると、最初は戸惑うばかりですが、乏しいながらも知識と経験を積み重ねれば、何かしら感じるところがあり、それを他人に説明して理解してもらえるかどうかは、やはり考えつづけて、さらに知識と経験を積み重ね、考えるという循環以外にないように思います。