


もちろん、「豊臣秀吉」には強い思いが込められている場合が多く、とくに関西では否定的な意見を述べるには決死の覚悟でのぞまねばならず、在阪球団とともに、批判するのは御法度であり、「大坂城を造ったのは太閤はんに決まっとるやろ」とすごまれたら、「おっしゃる通りですね」と愛想笑いを浮かべるばかりであるのは明白です。
豊臣秀吉の造った大坂城を埋没させてしまったということは、徳川秀忠の造った大坂城は、秀吉の造った規模をはるかに凌駕してしまったということであり、これは「秀吉贔屓」にとっては我慢がならず、東西対抗戦に敗れた上、東軍の大将に乗り込まれ、蹂躙され、威光を見せつけられてしまったとは、許しがたく、断じて受け入れられない現実に違いありません。
「大坂城を造ったのは大林組やで」とおちゃらけて笑いを取る裏には、もちろん、事実よりも笑いが取れる視点を最重要視する文化も底流にあるものの、どこか厳しい現実を受け入れたくないという思いも少しばかり働き、軽く受け流して、「これくらいにしといたるわ」という余裕をかまして、問題点をずらしたまま、笑いのうちにカタルシスを落とし、明日への活力へとつなげて生き抜いて行くたくましさを感じます。
大坂城には重要文化財に指定されている門や櫓など見ごたえのあるものが多く、とくに石垣の巨石の数々には目を瞠り、「さすが徳川将軍家の天下普請」とうならされるばかりです。