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映画会社の運営する講座で席を並べて以来、30年ほどの付き合いになる畏友が金沢を訪れ、百万石の城下町をそぞろ歩き、日の暮れかけた頃から一献傾けました。
年長であるとともに、厳しい受験戦争を勝ち抜き、修士課程を修めた上に、その後も学問の道を歩み、名著も多数あり、業界の重鎮として引く手あまたで君臨されている人に対し、畏友、などと呼ぶのはおこがまし過ぎ、師と呼ぶべきかとも思えてくるのですが、膨大で理路整然とした識見から得るものがあまりにも大きく、やはり、知性や教養の深さ同様の懐の深さに甘えて、あさはかな自分の考えをぶちまけたり、筋道が通っていないばかげた話をしたりしても、裏づけのある卓越した知識や見識をもとに、鋭くも含蓄のある知見や意見などが返ってくることによって、自分の低さと狭さと卑小さとを感じさせられ、さらに物事に対する考えを深めて行く必要性を痛感させられ、微力ではあるものの、間違いのない方向へと、より掘り下げる努力をしなければならないと奮起させられます。
職場の集まりで呑む酒は、あの人がどうしたとか、こうしたという仕事の延長線上の話に付き合うはめになり、人が職場でどのような身の振り方をしようと、まったく関係がなく、人の身の上にも関心がなく、できる限り、野球であったり、旅行であったり、その人が興味を持っていそうな話題を探り、仕事上の話を一切しないものだから、仕事を軽く考えているとか、ないがしろにしているとか、わるいように受け取られることもあるのですが、仕事は勤務時間内だけ一所懸命にやればいいだけと考えていて、それ以外は、自分の好きなことを思い、話をすればいいじゃないか、と考えているので、こうした畏友と過ごす時間はことのほか格別で、常日頃の抑圧されていた鬱憤を晴らすかのように、とめどなく噴出してきて、かなり飲み食いしながら、遠慮会釈のない私にとっての有意義で至福の夜は更けて行きました。
3軒目に行った店の人がたまりかねて、「もう閉店の時間ですので」と叩き出しにくるまで、日付が変わった上に2時間も過ぎていようとは、まったく気づいていませんでした。
金沢の繁華街は、観光客の流入で潤っていると報道されているほどのにぎわいではなく、昼間の観光地にいた人たちは、みんなホテルに帰って寝てしまったのかと思えるほどで、呼び込みの人たちの姿ばかりが目について、夜の街には「金沢ブーム」の余波はきていないように感じ、一抹のさびしさを覚えました。