


林浄印は、元に留学していた建仁寺僧龍山徳見の弟子となり、帰国の際に付き従って、貞和5年(1349)に来日、漢國神社の社頭に住まい、日本で初めてあんこの入った饅頭を作った人で、もともとの中国の饅頭は肉や背脂などの入った肉まんなのですが、日本の仏教における五戒のひとつ、不殺生戒にあたることから、小豆を煮詰めて味つけした餡を、小麦粉を練った皮で包んで蒸し、「奈良饅頭」として販売したところ、好評を博したことから、足利将軍家を通して、後村上天皇にも献上され、饅頭が大いに気に入った天皇は、宮女を下賜、その結婚式の時に紅白の饅頭を各所に配り、その際、子孫繁栄を願って紅白饅頭の一組を埋めたとされる「饅頭塚」が境内に残されています。
林神社は、昭和24年(1949)に、当時の漢國神社の宮司が菓子業界の協力を得て建立した新しい社で、4月19日が林浄印の命日ということで全国の菓子業者に呼びかけて「饅頭祭り」が始まり、林浄印の子孫は、長禄4年(1460)惟天盛祐が京都に移ったことから、京都の北家と、奈良の南家に分かれ、京都の北家はのちに京都北家と京都南家に分かれ、京都北家が現在の和菓子製造販売業の「塩瀬総本家」につながり、京都南家の7代目林宗二(1498~1581)は、父の代から奈良に移り住み、「饅頭屋本節用集」を著したことから、印刷・出版の祖ともされているようです。
饅頭に限らず、日本の文化は、海外から伝わった文化をそのまま受け入れるのではなく、自分たちの慣例や風土に合わせて、換骨奪胎して、創意工夫を加えた上で、見た目は似ているものの、本質はかなりかけ離れた形に落ち着かせて、なじんだところで、風習などとして暮らしの中に定着させる面もあり、柔軟でありながら、硬直した部分もあり、基本は素直に受け入れても、受けつけられないところははねのけ、変えるべきところは思い切って捨て、捨てた部分を改良して、新たな地平が切り拓かれてくるのですが、つけ加えられたところこそ、日本文化の真骨頂があるような気がします。
饅頭ひとつ取っても、茶道と結びついてさらなる発達をし、四季折々の情感を込め、美的鑑賞にも堪える芸術作品の域にまで高まっていたり、慶事や弔事の際に、さまざまな思いを伝えるために各所に配る風習であったり、全国各地の名産品や名物などを織り込んで、斬新な形状や食感になっていたり、発展や進化がとどまらない様相を呈しているにもかかわらず、起源をさかのぼって、最初に作った人を崇め奉り、願いや祈りを捧げるというのも、日本特有の美徳のひとつであって、誇りを持って魂を込めて饅頭をこしらえ、饅頭を愛し、饅頭を大切に思い、饅頭ひとつにも神が宿ると考える文化なのだと思えてきます。