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奈良公園にとけ込むように建つ奈良国立博物館では、生誕800年記念特別展「忍性-救済に捧げた生涯-」が開かれていました。
忍性(1217~1303)は、建保5年、大和国城下郡に生まれ、貞永元年(1232)に額安寺に入り官僧となり出家、延応元年(1239)に西大寺再建の勧進聖として加わったのを機に、西大寺の叡尊を師として、真言密教や戒律受持の教えを受け、ハンセン病などの重病者を保護する施設「北山十八間戸」を設けたり、非人に施粥を行ったり、貧者や病人の救済に身命を賭してあたり、弱者救済ばかりではかえって差別を助長すると、すべての階層の救済に力を尽くしました。
建長4年(1252)から関東に活動の場を移し、常陸三村寺を拠点に布教活動を行い、正元元年(1259)には北条重時に招かれて、極楽寺を創建、弘長元年(1261)からは北条家の信頼を得て、鎌倉に拠点を移し、鎌倉でも弱者救済、衆生救済を行い、戒律復興と社会事業の規模がより大きくなりました。
忍性が生涯において残した事績は、草創した伽藍83ヶ所、供養した堂154ヶ所、結界した寺院79ヶ所、建立した塔婆20基、供養した塔婆25基、書写させた一切経14蔵、図絵した地蔵菩薩1355図、中国から取り寄せた律三大部186組、尼僧に与えた戒本3360巻、非人などに与えた衣服33000領、架けた橋189ヶ所、修築した道71ヶ所、掘った井戸33ヶ所、築造した病屋など5ヶ所にのぼり、嘉元元年(1303)に極楽寺で亡くなり、遺骨は、大和国竹林寺、額安寺にも分骨されました。
病人・貧民救済や架橋・道路普請など、社会事業にも熱心に取り組んだ名僧は、自らは戒律を厳しく守りながら、他者を救うためにすべてを捧げましたが、この深い慈悲のこころは、学問と修行ののちに達した境地であろうとは考えられるものの、知識を与えるばかりではなく、行動をともなって、生涯を貫いた偉業の前には、言葉もなく、ただこうべを垂れるほかありませんでした。