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三十数年ぶりに訪れた宮崎県の青島は、記憶の中にある観光客が押し合いへし合いしながら狭い参道を歩いていたにぎわいとは打って変わって、土産物店が数軒並ぶひっそりとした道を海に向かい、浜辺に出るとまばらな観光客が思い思いにうろついていて、時折聞こえてくる中国語と関西弁が観光にきていることを実感させてくれました。
鬼の洗濯板と呼ばれる波状岩に囲まれた青島は、周囲は1.5kmほど、島内は亜熱帯植物が群生していて、226種ほどある植物の中でも、ヤシ科の高木ビロウの群落は南国ムードにあふれています。
青島全島を境内地とする青島神社は、山幸海幸神話にちなむ三神を祀り、山幸海幸伝説の地であり、山幸彦と豊玉姫の出会いの場であり、いにしえよりの霊域で、江戸時代まで禁足地として保全され、村民は対岸の尖浜に遙拝所を設けて遥拝していましたが、元文2年(1737)に当時の神主が飫肥藩主に解禁を願い出て、一般人の参拝が許されるようになったようです。
昭和35年(1960)に昭和天皇第五皇女清宮が旧佐土原藩主の家系の島津久永との新婚旅行先として宮崎を訪れ、青島などを散歩、皇太子明仁親王と美智子妃の結婚から4年目の昭和37年(1962)に宮崎を訪れ、4泊5日の日程で青島などを観光、翌昭和38年には宮崎観光のバスガイドが主人公の映画「100万人の娘たち」を、監督・五所平之助、主演・岩下志麻、笠智衆によって、宮崎の宣伝とも取れる映画を松竹が製作、さらに昭和40年には川端康成原作によるNHKテレビ小説「たまゆら」が放映されると、宮崎の人気は爆発、青島などのロケ地に連日観光客が押し寄せ、放送開始から一ヵ月後の大型連休初日には、「この日の観光バスは定期96台、貸切の県外53台、タクシー、自家用車が一時に押しかけたので道路幅の狭い宮崎―サボテン公園間は各所で交通マヒ」(宮崎日日新聞1965/5/3)という大混乱に陥るほどで、宮崎は「新婚旅行のメッカ」として、ピークの昭和49年(1974)には37万184組が訪れたとされ、その年に結婚した3組に1組が宮崎を訪れ、「宮崎=ロマンティックムードあふれる南国」イメージが出来上がりましたが、ピークのあとは徐々に新婚観光客が減り始め、青島神社の入場者数は、平成2年(1990)の約109万人をピークに、平成18年(2006)には約57万人と半数近くまで減少、東国原知事の誕生した平成19年以降は持ち直しの傾向がつづいています。
三十数年前に、20日間有効の「九州ワイド周遊券」を握りしめて、ユースホステルや夜行急行の中で寝泊りしながら九州をくまなく回り、その中でも、もっとも強い印象を残したのが青島を中心とする日南海岸で、青島駅から青島へ向かう道の両側には土産物店が軒を連ね、押し寄せた観光客が割り箸に刺さったパイナップルを食べたり、ソフトクリームをなめたりしながら、数珠繋ぎになって青島を目指し、老若男女入り乱れて、ディスカバー・ジャパンに酔いしれていたのは、高度成長期で、まじめに働きさえすれば安定した生活が望め、旅行などをするゆとりも生まれてきていた朝日が昇るかのような時代であり、未来にはさらなる豊かさが待っていると誰もが信じられる、この上ない喜びに包まれていた幸せな時代の空気の中で、観光地も沸き立ち、夢と希望に満ちあふれていたのでしょうが、その実り多いはずの21世紀がこのような状況になろうとは誰も予測できなかったと思われ、どこで間違えたのか、何がいけなかったのか、責任はどこの誰にもないとはいえ、平成27年(2015)には年間70万人が訪れる観光地であり、時代は変わっても、青島の魅力は不変であり、神話と自然の基礎知識があればこれほど面白いところはほかにはなく、大衆に迎合したい気持ちをほんの少し抑えて、ほんとうに好きな人が繰り返し訪れる場所になる努力を重ねる方が、お互いが幸せになれるような気がします。