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大阪府堺市にある「アルフォンス・ミュシャ館」は、19世紀末から20世紀初頭にかけて隆盛した芸術運動、アール・ヌーボーの代表的な画家・アルフォンス・ミュシャ(1860~1939)の作品を、初期から晩年にわたって体系的に収集してある充実した展示内容でした。
オーストリア帝国モラヴィア(現在のチェコ)に生まれ、19歳でウィーンに行き、舞台装置で働きながらデッサン学校に通い、25歳の時伯爵の援助を受けミュンヘン美術院に入学、28歳の時パリのアカデミージュリアンに通っていたものの、伯爵の援助を打ち切られ、雑誌の挿絵を描いて生計を立て、挿絵画家としての評価も高まりつつあった頃、世に出るきっかけとなったのが、1895年、舞台女優サラ・ベルナールの芝居のために描いたポスター「ジスモンダ」によってであり、パリで大好評を博し、一躍アール・ヌーボーの旗手としての地位を確立しました。
サラ・ベルナールの芝居のほかにも、シャンパンやタバコなど多くのポスターもデザインし、過剰なほどの装飾に彩られた中に、何か深い意味が隠されているかのようないわくありげな女性が描かれていて、寓意を含んだ作品の数々は、詮索せずにはいられない奥行きのある魅力をたたえています。
アメリカにも招待され、商業的にも成功をおさめたのち、1910年、祖国に戻り、「スラヴ叙事詩」の製作に取りかかり、1918年にハプスブルク家が支配するオーストリア帝国が崩壊し、チェコスロバキア共和国が成立すると、財政難の国家のために、国章や紙幣、切手などのデザインを無報酬で行い、チェコ人の愛国心を喚起する多くの作品も生み出され、スラヴ民族としてのアイデンティティや国を思う気持ちの強い芸術家であったことがうかがえます。
アルフォンス・ミュシャにとっての芸術は、国を愛し、民族を誇りに思いながらも祖国を離れ、漂泊と修業ののちに到達したのは、祖国の未来への希望であったのかもしれず、魅力的な女性に込められていたのは、いつも心の中にある祖国、故郷を投影していたようにも思えてきます。