


おそらくは織田信長であろうと考えながら近づいて行くと、ちょんまげを結った武将がマントを羽織り、右手には火縄銃を持ち、左手には西洋兜を抱えた勇ましい姿でそびえ立ち、黄金の像の高さは3m、台座からは11mという高いところから岐阜駅を見据え、天下統一へと電車に乗って出かけようとしているかのように光り輝いていました。
思わず引き寄せられて、近づいて行き、しげしげと見上げると、金ぴかの織田信長はさながら金粉ショーの演技者のように息苦しそうで、果たして金色がふさわしいのかどうか、見識も知見もないので判断はつきかねますが、とにもかくにも目立つことだけは確かで、黄金の信長像として企画した人たちの思惑通りに誘蛾灯のような役割を見事に果たしていました。
黄金の信長像は、岐阜市などが予算を組んでこしらえたものではなく、市制120周年を記念して「信長公の銅像を贈る会」という団体が市民からの寄付金を募って、3000万円かけて建立した像であるらしく、その発起人には、地元の有力企業の役員の方々の名も刻まれ、織田信長の偉業を称え、衷心から岐阜のますますの発展を祈念して発案なのでしょうが、派手をきわめて、とにもかくにも目立つ織田信長像は、三英傑の中でも新時代を切り拓いたフロンティア精神を表している日本一すてきな像なのかもしれません。
地元の人たちの思いを込めた金ぴかの武将像ですが、像の下から記念写真を撮ると、創刊が明治14年(1881)で地元とともに歩む地方紙の青い看板が写り込む仕掛けになっているという説もあり、名古屋を本拠として球団も抱える新聞社との熱く熾烈な拡販競争のつばぜり合いが背景にあるそうなので、戦国武将の像としてふさわしく、少し知ればより面白くなってくるところも、歴史上の人物同様といった気にもなってきました。