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三年寝太郎の一般的に知られている民話というのは、村人が総出で働いているのにもかかわらず、手伝いもしないで、寝てばかりいて、怠け者と誹られようと、、邪魔者扱いされようと、泰然と寝て暮らし、旱魃などで村人が苦しんでいる時に、やおら起き出してきて、川に巨岩を転げ落として流れを堰き止め、田畑を水で潤し、それまで毛嫌いしていた寝太郎を見直して、ただの無為徒食ではなく、村を豊かにするために考え抜いていた偉人として崇め奉り、めでたし、めでたし、ということになっているようです。
堰き止められたおかげで下流にまで水がこなくなったじゃないか、と血相変えて怒鳴り込んでくる下流の村人がいなかったのは不思議ですが、三年寝太郎たる者、やはり下流の村のこともすべて考え抜いた上で行ったと考えるのが自然であり、ここぞという時には知恵と底力を発揮する頼もしい存在であるのは間違いなさそうで、この一大事業のみで、村人から一生尊崇の念を集めつづけ、食うに困らなかったとしたら、乾坤一擲の大勝負に打って出た甲斐もあるというものです。
山口県の厚狭駅前に立つ三年寝太郎像は、庄屋の息子という恵まれた環境にありながら、ろくに働かず、三年三月引きこもって寝てばかりいて、ある時、父親に千石船と積めるだけの草履を作ってくれと頼み、経済的に余裕のあった庄屋は息子の願いを聞き入れて、要求通りにしてやると、船出してどこかへ行ってしまい、戻ってくると、船の中の草履はすべてぼろぼろになっていて、今度は桶をたくさん用意してくれと言い出し、息子に甘い庄屋はまたしてもその通りにしてやり、寝太郎が桶で古草履を洗い出したところ、泥水の中に金色に光るものが見えてきて、よく見るとそれは砂金でした、という知恵と度胸の極めつけのような三年寝太郎の話であり、佐渡島へ行って、金山で働いている人足の草履を無償で交換してやった目のつけどころのよさに、思わずうならされてしまいます。
この話は、大内家家臣の平賀清恒が落ち延びて農作をしていたところ、水不足に苦しむ農民の姿を見て、三年三月、どうにかしたいものだと考えつづけて、ある時、佐渡金山でわらじを交換する案が浮かび、実行、砂金によって得た資金を厚狭川の灌漑事業に充当し、荒地を開墾した地元の功労者として称えられているのが基になっているそうです。
本心から村人の窮状を救いたいと願い、日夜知恵を絞りつづける行為こそが妙案を生み出す源であり、目の前にある困窮を小手先でごまかすのではなく、将来を見据えて、継続性のある策を打ち出すのが肝要で、自らの利得に走らず、全体の利益を求め、真であり、善であると確信したならば断じて行い、完遂させたならば、歳月の荒波にもまれても、歴史は評価するはずです。