


能登国大屋荘地頭で鎌倉武士であった長谷部信連は、建久年間(1190~1198)に源頼朝の命により加賀の賊徒を平定した際、行基の開湯以来荒廃していた山中温泉を再興するように、薬師如来の化身の女性から懇願され、能登に引き返さなければならなかったため、12人の家来を置いて、再興に当たらせたところ、薬師如来の霊湯として全国にその名をとどろかせ、多くの湯治客が訪れることになったそうです。
加賀の長谷部神社は、ゆげ街道のわき道を入って、石段を上った先に鎮座し、鳥居をくぐると、鬱蒼とした木々の新緑と、苔むした緑のじゅうたんとの間に、灯籠や馬の石像が置かれ、滝が引かれて水が流れ落ち、身が引き締まるような静謐な空気が流れていました。
観光客がひっきりなしに訪れるという場所ではないようで、落ち着いた雰囲気の中、ゆっくりと参拝できました。
長谷部信連は山中温泉再興の祖としても祀られていますが、藩政時代、加賀八家に列した長氏の祖でもあり、長氏は能登国人から、穴水城主、福水城主となり、戦乱の世を勝ち残り、織田信長、前田利家に仕え、加賀藩においては3万3千石の大身でした。