1972年に「返事はいらない」でデビューした多摩美大生の荒井由実は、1976年に編曲家の松任谷正隆と結婚したのちも精力的に音楽活動をつづけ、生み出した名曲もあまたあり、代表曲をひとつだけ選ぶというのは困難を極めますが、やはり、荒井由実の時代の方が、才能が少しづつ輝きだして、やがて巨大な星となる前の段階であり、独自の才能の本質が凝縮されているような気がします。
「卒業写真」は、1975年6月に発表されたアルバム、「COBALT HOUR」に収められた曲で、シングルカットはされていないにもかかわらず、多くのアーチストがカバーしたり、ドラマやCMなどに使われたりして、チャートのトップ曲以上になじみがあり、色あせず、卒業ソングの定番でもある不朽の名作、悲しみや悩み事につまずいた女性が、ふと青春時代を振り返り、懐かしむ、という荒井由実の真骨頂です。
人生はままならないことを知った深窓の令嬢が、卒業した女子高の卒業アルバムを開き、自分よりも一回りほど上の担任の女性教諭が、生徒の身になって、真剣に教え諭し、生きる指針を与えてくれたことを思い出し、学校の規則を杓子定規にあてがうばかりでなく、時に学校の体制側とも張り合うほどに生徒ひとりひとりを尊重して指導し、人間として大切に扱ってくれたことへの感謝と、世事雑事に追われて、自分を見失いそうになった時、不本意な方向に流されそうになるのを、ふと立ち止まり、考えるひととき、青春は一面純粋でも、その裏側は必ずしもきれいごとばかりではないし、思い出したくもないこともありながら、それでもやはり、あの日にかえりたいと願い、忘れていた青春の後姿を追いかけてしまうもので、取り戻せないからこそ美しくもなり、写真として定着した思い出は、そのままの形でよみがえり、自分は周囲と折り合うため、あくせくして、ゆとりをなくし、落ち込んでいるのに引き替え、かつての恩師はいまも凛とした風に見え、青春時代のまま、やさしさで包んでくれる立派な大人として輝きを放つ存在、あこがれは青春そのもの、世の中は動き、月日は流れ、人は変わる、それでも生きていかなくてはならないのが人のさだめでもあります。
誰しもが学校を卒業し、社会の荒波に漕ぎ出しますが、この歌を聴いて、どういう映像が浮かぶかは人それぞれ、学生時代に思いを寄せた男子生徒、あるいは交際していた恋人と受け取ることも可能で、男子生徒に限らず、女子生徒への思慕と受け止めても不自然ではありません。
着想は家庭教師から得たらしいのですが、人によって、どのようにでも捕えられるのが含蓄のあるところで、ある意味でベタな世界を、真正面から斬り込み、どこにでもありそうなふとした出来事を深掘りし、焦点を絞り込むことでより一層鮮烈な印象を一撃で与える脅威的な才能は、ベタをベタのままで終わらせず、誰にでもわかりやすく、しかも卓越した表現で高みへと導き、何度聴いても新しい発見ができ、ストーリーが幾通りにも浮かんでくる稀有で独特の世界に魅了されます。