


昭和58年(1983)の日本海中部地震のあと、本丸東側石垣がはらんでいるのではないか、という指摘があり、調査の結果、水面から天端石まで8,7mの高さがある中、内濠側にゆるやかにはらんでいるうちで、最も大きいふくらみは1mほどに達し、放置すれば、地震などによって崩壊のおそれがあり、天守曳屋をともなう大工事になりました。
本丸東側石垣は、築城時に石垣が築かれず、四代藩主津軽信政によって、元禄7年(1694)から築き足しが開始され、大飢饉による中断をはさんで、元禄12年に完成、慶長16年(1611)の築城から80年余の時を経て、本丸を石垣で囲うことができました。
本丸東側石垣の築き足しから200ほど経った明治時代の中頃に、天守の下の石垣が崩壊、明治30年(1897)に曳屋工事を始めて、大正4年(1915)の完了まで、18年かけて石垣修理が行われました。
慶長16年の築城した時には、本丸東側の中央部三十八間、約70mほどのあたりには、内濠水面までしか石が積まれず、あとは土留めとなっていたそうで、どういう理由で積まれなかったかは定かではなく、東側以外の三方の石垣にはまったく問題がないようなので、慶長の高い技術によって、一気に囲ってしまっておいてくれたら、とうらむのは勝手な言い分に過ぎませんが、石垣を築き足すのは強度に問題が生じて、崩れやすく、何事も基礎から積み上げて行くのが王道のようです。