


入江長八(1815~1889)は、文化12年8月5日に伊豆国松崎で生まれ、6歳で浄感寺塾に学び、12歳で左官棟梁に弟子入り、19歳で江戸に出て、狩野派の喜多武清から絵画を学び、そのかたわら彫塑の技工も習得し、これを左官の技術に応用、漆喰によって絵を描き、彫塑して色彩を施し、従来の建物の外観に装飾する漆喰壁の模様などから、室内観賞用の芸術として新機軸を開いて、独自性を生み出し、まったく新しい鏝絵を確立しました。
名工長八の名が広まったのは、26歳の時に描いた日本橋茅場町の薬師堂の左右の御拝柱の一対の龍からで、その後、浅草観音堂、目黒祐天寺、成田山新勝寺、高輪泉岳寺など次々と作品が生み出され、その多くは関東大震災や東京大空襲で焼失してしまいましたが、松崎町の岩科学校や浄感寺、明治商家中瀬家などに残されています。
芸術作品が生活の場に溶け込んでいるのは、日本の文化の特徴のひとつでもあり、絵画や彫刻が住まいを飾り、庭園がゆとりある眺望をもたらし、日々の暮らしに潤いを与えるとともに、家主の望みや願いを表し、時に主義主張をし、富を見せつける場合もあれば、品性や志の高さを控えめに示す場合もあり、好みはまさに十人十色で、それが優秀な職能集団を育んだともいえ、匠の技への尊敬の念は、日本人の心の底流にあって、卓越したものづくりの基盤となっているように思えます。
職人もまた誇りを持って仕事にあたり、より高みを目指して腕を磨く、そうして修得した技術によって生み出された芸術には、民衆の生活に根ざした力強さがあり、生命力にあふれ、おかしみや滑稽さも交えながら、毎日見ているうちに暮らしに溶け込んで、心のうちにしみ入り、なつかしさややすらぎを与えてくれるなくてはならない存在になるような気がします。