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小倉城庭園は、武家屋敷のの様式を再現した書院棟、平安時代から武家社会、現代までの礼作を紹介した展示棟、書院の下に広がる池泉の周囲を回遊する日本庭園からなっていて、天守の東側にあった小笠原下屋敷跡を整備して、平成10年(1998)に開館した歴史の浅い観光施設です。
細川家が肥後へ転封後、播磨明石から寛永9年(1632)に入封した小笠原忠真は、ぬかづけが大好きで、小倉城にぬか床を持ち込んできたばかりでなく、城下の臣民にもぬかづけを奨励したことから、現在にまで代々受け継がれたぬか床が残されている家もあり、キュウリやナスビをつけ込むばかりでなく、まず醤油で煮たイワシやサバをぬか床に入れて炊く「ぬかだき」は小倉独自の郷土料理で、小笠原忠真が味をしめたと思われる2代藩主として治めていた信濃松本にはなく、保存食の妙法であった野菜などのぬかづけは全国各地で食されているものの、小倉で新鮮な青魚との出会いが新しい食文化を生んだとも考えられ、現在では歴史ある小倉名物となり、ぬかみそにも生活の知恵が目一杯詰まっているようです。
小笠原忠真は、茶道にも通じ、茶道頭として古市了和を召抱え、小笠原家茶道古流として一派を興隆、古流とは千利休以前に起源を持ち、流祖は古市胤栄、室町時代から戦国時代にかけての武将で、応仁の乱で畠山義就を支持して戦い、その一方で、茶の湯の祖村田珠光の弟子となるなど風流人でもあったようです。
小笠原流礼法は、弓馬術礼法小笠原流の一部だそうで、基本は武家の定まった方式としての「修身論」と「体用論」にあるようですが、有職とは過去の例の知識の蓄積であり、故実とは公私の行動における根拠ある規範であり、それらを踏まえて、礼法は敬いや思いやりの気持ちを表現するための型であり、共通認識であり、身分や立場に違いのある者の間で、敬意や恭順、あるいは不敬や無礼について、認識の違いや勘違いが起こらないように、挙措、進退、言語などが定められたもの、現代においては、マナーという形で軋轢の回避に重点が置かれているようで、立ち居振る舞いや言動、態度など、すべては人間関係に集約されるようにも思えます。
礼法に詰め込まれた人智をかみしめると、ぬかづけのような味がするとは思えませんが、どちらも先人の知恵がぎっしり詰まり、脈々と引き継がれているところは似ていて、衣食足りて礼節を知るには、食も含蓄に富んだ欠かせない重要な文化であることが再認識させられました。