昨年6月に転職してから、大過なく勤め上げて、というほどのことでもなく、とりあえずこなしつつ、早いもので9ヶ月になり、新しい世界を経験できるのは、ちょっとした喜びでもあり、かなりの緊張もあり、なかなか面白くもあり、いろいろな人と話ができることは、自分の知らない世界を教えられ、ためになったり、感心したりして興味深く聞き入っていますが、もし若いうちから知っていたら、違った人生の展開になったかもしれないと思うこともしばしばで、余りにも無駄に年を重ね過ぎ、やり直すには遅すぎた悔恨もほんの少しだけない交ぜになってきて、職場の人たちの有意義な人生が輝いて見えてきます。
どこの職場に行っても、ひとりくらいは親しく付き合える人が現れるもので、昨年9月に関西方面に出かけるため、近くの無人駅に駐車していたことがあり、それを見た近所から通勤している人が話しかけてきて、旅行の話になった際、「今度うちにきて酒でも飲もう」と誘われ、金銭の無心であったり、連帯保証人になってくれと頼まれたり、新興宗教への勧誘であったり、儲け話の紹介であったり、何かしら下心があるのではないかといぶかしんで、「また今度お願いします」などと先延ばしにしていたのですが、休みの日の夕方、電話がかかってきて、「刺身くらいしかないけど飲みに来ないか」と誘われ、雪も融け、多少気候もよくなってきたことから、さすがに断り切れず、自転車に乗って5分もかからない大きな農家を訪問しました。
二階建ての母屋と、大きな物置があり、家の前には用水が流れ石垣のある畑が広がり、田んぼは近所の人に任せているものの一町歩ほどあるそうで、「豪農というか、資産家ですね」と素直に感嘆したら、「自分はやりたくないし、弟も子供もみんな東京に出て働いているし、誰も継ぐ者がいない負の遺産」と笑っていましたが、うらやましい気持ちもあり、他人の資産について余計な心配をする必要はないにしても、見渡す限りの田んぼが将来どうなるのか、気にかかるところではありました。
刺身の盛り合わせやいかの煮物などをつまみに、ビールを飲みながら話をしましたが、隣り駅にあるチェーン製造で定評のある一部上場企業に30年勤めていたことや、定年後にナシ組合の広大な畑の一部を借りて人を雇って経営していたことや、小型船舶などいろいろな免許や資格を持っていることなどを聞き、金銭にまつわる頼みごとの類でもなく、何らかの組織への誘い込みでもなく、話しづらくなるような事柄は一切なかったことにひとまず安心し、しばらく前までの産業廃棄物収集運搬業時代にかかわった廃品回収業者とは違い、まともにやってきた人にまで疑いの目を向けてしまう習性が、羹に懲りて膾を吹いていたようで、人付き合いの可能性を狭めていたことに気がつき、普通に会社勤めをしている人たちは、金銭トラブルや警察沙汰にはほとんど無縁であり、最後にこじれて恫喝されたり、捨て台詞を残されたりすることもなく、パチンコ屋で人生の大半を過ごし、楽して稼ぐことばかり考え、他人から金品を引っ張り、借金を踏み倒すのが常道の人を基準にしてはいけなかったようです。
話をしたかった一番の理由は、タイに妻子がいるということのようで、パソコンの画面で、現地に建てた家や家族の写真、これまでに数十回渡航したこと、利用した航空会社のこと、これからの渡航計画。それに年金が満額支給まであと3年はいまのまま働いて、65歳からはタイに移住する計画であることを聞き、タイに渡航歴はあるものの、タイ国内の詳しい事情まではわからないので、ひたすら聞き手に回っていましたが、私のいまの立場も心配してくれていたようで、派遣ではなく、嘱託になったらどうか、とか、知っている警備会社の人が前立腺がんで入院するため、休みの日だけでもパートに行かないか、などとあたたかい言葉もかけてもらい、日付の変わる時間まで大いに飲み食いさせてもらい、「風呂入って、泊まって行け」という誘いは丁重に断って、「うちでは遠慮することはないから」という言葉に甘えさせてもらい、何の気兼ねも気づかいもなく話をし、玄関先でも少し立ち話をしたあと、感謝の気持ちでいっぱいになって、大きな農家をあとにしました。
どこの職場に行っても、ひとりくらいは親しく付き合える人が現れるもので、昨年9月に関西方面に出かけるため、近くの無人駅に駐車していたことがあり、それを見た近所から通勤している人が話しかけてきて、旅行の話になった際、「今度うちにきて酒でも飲もう」と誘われ、金銭の無心であったり、連帯保証人になってくれと頼まれたり、新興宗教への勧誘であったり、儲け話の紹介であったり、何かしら下心があるのではないかといぶかしんで、「また今度お願いします」などと先延ばしにしていたのですが、休みの日の夕方、電話がかかってきて、「刺身くらいしかないけど飲みに来ないか」と誘われ、雪も融け、多少気候もよくなってきたことから、さすがに断り切れず、自転車に乗って5分もかからない大きな農家を訪問しました。
二階建ての母屋と、大きな物置があり、家の前には用水が流れ石垣のある畑が広がり、田んぼは近所の人に任せているものの一町歩ほどあるそうで、「豪農というか、資産家ですね」と素直に感嘆したら、「自分はやりたくないし、弟も子供もみんな東京に出て働いているし、誰も継ぐ者がいない負の遺産」と笑っていましたが、うらやましい気持ちもあり、他人の資産について余計な心配をする必要はないにしても、見渡す限りの田んぼが将来どうなるのか、気にかかるところではありました。
刺身の盛り合わせやいかの煮物などをつまみに、ビールを飲みながら話をしましたが、隣り駅にあるチェーン製造で定評のある一部上場企業に30年勤めていたことや、定年後にナシ組合の広大な畑の一部を借りて人を雇って経営していたことや、小型船舶などいろいろな免許や資格を持っていることなどを聞き、金銭にまつわる頼みごとの類でもなく、何らかの組織への誘い込みでもなく、話しづらくなるような事柄は一切なかったことにひとまず安心し、しばらく前までの産業廃棄物収集運搬業時代にかかわった廃品回収業者とは違い、まともにやってきた人にまで疑いの目を向けてしまう習性が、羹に懲りて膾を吹いていたようで、人付き合いの可能性を狭めていたことに気がつき、普通に会社勤めをしている人たちは、金銭トラブルや警察沙汰にはほとんど無縁であり、最後にこじれて恫喝されたり、捨て台詞を残されたりすることもなく、パチンコ屋で人生の大半を過ごし、楽して稼ぐことばかり考え、他人から金品を引っ張り、借金を踏み倒すのが常道の人を基準にしてはいけなかったようです。
話をしたかった一番の理由は、タイに妻子がいるということのようで、パソコンの画面で、現地に建てた家や家族の写真、これまでに数十回渡航したこと、利用した航空会社のこと、これからの渡航計画。それに年金が満額支給まであと3年はいまのまま働いて、65歳からはタイに移住する計画であることを聞き、タイに渡航歴はあるものの、タイ国内の詳しい事情まではわからないので、ひたすら聞き手に回っていましたが、私のいまの立場も心配してくれていたようで、派遣ではなく、嘱託になったらどうか、とか、知っている警備会社の人が前立腺がんで入院するため、休みの日だけでもパートに行かないか、などとあたたかい言葉もかけてもらい、日付の変わる時間まで大いに飲み食いさせてもらい、「風呂入って、泊まって行け」という誘いは丁重に断って、「うちでは遠慮することはないから」という言葉に甘えさせてもらい、何の気兼ねも気づかいもなく話をし、玄関先でも少し立ち話をしたあと、感謝の気持ちでいっぱいになって、大きな農家をあとにしました。