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常栄寺南溟庭は、北庭の雪舟庭に対し、本堂の南側に二十世安田天山老師が重森三玲に作庭を依頼し、昭和43年に造られた枯山水です。
苔山の汀から、波濤を越えて、大陸に渡る雪舟の行き来が表現され、白砂と石と苔しかないにもかかわらず、大海を前にしたかのような希望と不安を感じさせ、新たなる船出への無限の可能性と有限のいのちとの葛藤が伝わってくるようで、渡らなければ身の安全は保障されているにのに、旅立たずにはいられない道を求める姿がそこにあるかのようでした。
枯山水を前にすると、つい龍安寺石庭を例示して、わかってもいないのに得意気にその名を発するだけで博識を披露したかのように自己満足してしまいがちですが、限定された断片を反射的に思わず吐き出してしまうのは、パブロフの犬とほぼ同じ知的水準であることを露呈しているも同然で、パブロフの犬というのを引っ張り出してくるところにも、同様のひとつ覚えであるのは間違いありません。
本堂の南庭というのは、平安時代には儀式の行われていた場所であり、時代が下るとともにその意義は薄れ、次第に室内で儀式が行われるようになって行ったという流れもありますが、本尊の千手観音菩薩は南を向いていて、南溟を通して世界を見通し、衆生の声を聞き、それぞれの手に持った方法により、救済をされているはずです。
南溟庭は、樹木が生い茂ることもなく、苔山が侵食されることもなく、白砂が流出することもなく、天災や戦乱でもない限り、おそらくは、この庭を見た人々の消滅し、建物が朽ち果てたとしても、このままの姿で残りつづけると考えられ、この空間には永遠が宿っていると思えてきました。