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四天王寺は日本最古の寺、山号は荒陵山、本尊は救世観音菩薩、推古天皇元年(593)に聖徳太子によって建立されました。
欽明天皇(509~571)の時代、欽明天皇13年(552)に百済より仏像と経文が公式に伝来したことにより、廃仏派の物部尾輿と崇仏派の蘇我稲目との間に対立が始まり、朝廷内の勢力争いは代替わりした物部守屋と蘇我馬子に引き継がれ、つづく用命天皇が仏教に帰依するかどうかを群臣に訊ねたところ、またしても物部氏は反対し、用命天皇2年(587)ついに武力による衝突・丁未の乱が起き、物部守屋は戦死、一族は離散し、物部氏の領地と奴隷は、半分は蘇我馬子に、半分は四天王寺に寄進され、蘇我馬子による法興寺は翌年から造営が始まり、四天王寺は数年ののち造営が始まったようです。
仏教が取り入れられたのには、古代からある原始神道では、病や死などの穢れに対して触れられず、仏教によって向き合うことができ、救済されると期待できたからと考えられますが、如来や菩薩などの仏も、土着の神々と同様の「神」として受け容れられ、尊崇を集めたものと思われます。
聖徳太子は、四天王寺に四箇院の制を取り、敬田院は寺院、施薬院は薬局、療病院は病院、悲田院は社会福祉施設と、衆生救済の精神をもって建立にあたったようです。
南から北に向かって、中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それらを回廊で結ぶ「四天王寺式伽藍配置」は日本で最も古い建築様式で、源流は中国や朝鮮半島にあり、東アジアの交流はいにしえより盛んだったことに思いがいたります。