


明治維新の動乱で再び荒廃し、明治、大正と放置され、昭和43年(1968)になって、皇居東御苑を一般公開するに当たり、家重の代に作庭した絵図面をもとに復元されました。
築山の滝からの流れが大きな池泉に注ぎ込み、滝や護岸の石組はあるものの、州浜や菖蒲園が穏やかで、広大な敷地のため、すべがゆったりしていて、緊張感の感じられない優雅な殿様の庭園でした。
二の丸雑木林から、諏訪の茶屋にかけての一歩ごとの景観は実に見事で、居住と遊興と、趣味と実用とを兼ね備えた文化の香りが立ちのぼる空間で、楽しみつつ暮らす風雅の一端がうかがえました。
公家社会ともつながりがあって、茶の湯や能、連歌などといった芸事から、乗馬や弓術、剣道といった武芸にいたる素養を持ち、それぞれの道の達人に接する高貴な身分であるためには、こうしたおおらかな空間が必要であったのでしょうが、庶民には縁遠いただの池と林に過ぎないようにしか見えなかったようにも思えてきます。