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御経塚遺跡は、野々市市ふるさと歴史館にあった教育委員会発行のリーフレットの説明によると、およそ3500~2300年前、縄文時代後期から晩期にかけて営まれた環状の大集落跡、昭和29年(1954)に発見され、昭和31年(1996)以来、平成8年(1996)まで、27回にわたり、発掘調査が実施されたようです。
発掘調査の結果、30軒の住居跡や、大量の土器や石器が出土、現在は史跡として竪穴式住居が一軒復元され、土坑や住居の跡が整備され、出土品はふるさと歴史館に展示されています。
茅葺き屋根の住居は、中央に囲炉裏が作られ、一家族が住み、20年から30年ほどは利用可能だったそうで、当時の寿命は20年ほどで、その年齢を乗り越えられた人は40歳くらいまで生き延びたそうですが、蓄積された生きるための知恵は、尊敬を集めたに違いなく、現在よりは凝縮された時間を過ごしていたのかもしれません。
深鉢や注口土器、磨製石斧、石錘、石皿、くぼみ石などの生活用具も多く展示されていましたが、石棒や土偶、石冠、勾玉、臼玉、垂飾りなどの呪具や装飾品も数多く、とくに御物石器はかなりの時間をかけて研磨したと考えられ、縄文の人たちの信仰心は相当厚く、収穫が大きく自然に左右され、自然の背後に神の姿を見た人々は、神を祀り、交信して豊かな恵みを祈り、神話によって、この世のすべてを説明しようとしたのでしょうし、やはりほんとうの恐怖は、けがや病気によって不具合が生じ、いのちが奪われることであったと想像しますが、神への祈りは言葉によって捧げ、言葉を巧みにすることで望ましい現実を引き寄せようとして、呪詞や歌謡が生まれ、岩版や土偶に火などで働きかけることで、より深く現世利益を願ったのかもしれません。
狩猟採集した食糧を、石器で切り分け、土器で煮炊きし、保管し、厳しい冬を乗り越えれば希望の春、恵みの夏、秋に蓄え、冬に備え、自らの祖先と考える神に祈り、感謝し、ともに生きる暮らしぶりは、文字こそなかったものの、集落全体の意思の疎通を図る言葉があり、よりよい暮らしを望む言霊があり、濃密な共同体を築いて、全身全霊いのちごとぶつかり、生き抜いていた豊かな精神の世界があったように思えてきました。