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越前大野は、織田信長の軍勢が乱入してくるまで、一向一揆の勢力下にありましたが、天正3年(1575)に越前一向一揆を平定、功績のあった金森長近と原政茂に与えられ、大野郡の3分の2、3万石の恩賞を受けた金森長近が亀山の頂上に築城を始め、天正8年(1580)に梯郭式平山城が完成、築城と同時に城下町の整備も推し進め、京の町に倣った碁盤の目状に区画を整え、湧き水を生活用水として引き込む水路をめぐらせ、商いを奨励して市を開き、それらは400年以上経った現在にも、綿々と基盤として引き継がれてきました。
標高249mの亀山に金森長近の築いた大野城は安永4年(1775)に焼失、寛政7年(1795)に天守を除いて再建されましたが、明治維新に破却、現在の天守は、昭和43年(1968)鉄筋コンクリート造により推定再建された復興天守です。
野面で乱積の石垣は、角あたりのひとつを取りはずすと、がらがらと崩れ落ちてきそうですが、意外と堅牢で、水はけがよく、長持ちするそうで、打ち込みはぎ、切り込みはぎより造られた年代が古く、石の自然な表情が野趣の魅力にあふれています。
亀山の上から、町の移り変わりを見つめてきた大野城、城主も目まぐるしく変わり、時代もあわただしく変わりつづけてきましたが、変わらずにある人々の営みと水の流れ、そして朝市には、400数十年の歳月の重みを感じるとともに、これからも変わらずにあって欲しいと願わずにはいられません。
天正14年(1586)金森長近は、豊臣秀吉に手腕を買われて飛騨高山に移りますが、そこでも大野と同様の町づくりを推進し、現在にも受け継がれて、確かな見識に基づいて設計された町並みは、日本の原風景としても高い人気を誇っています。