


標高249mの亀山に金森長近の築いた大野城は安永4年(1775)に焼失、寛政7年(1795)に天守を除いて再建されましたが、明治維新に破却、現在の天守は、昭和43年(1968)鉄筋コンクリート造により推定再建された復興天守です。
野面で乱積の石垣は、角あたりのひとつを取りはずすと、がらがらと崩れ落ちてきそうですが、意外と堅牢で、水はけがよく、長持ちするそうで、打ち込みはぎ、切り込みはぎより造られた年代が古く、石の自然な表情が野趣の魅力にあふれています。
亀山の上から、町の移り変わりを見つめてきた大野城、城主も目まぐるしく変わり、時代もあわただしく変わりつづけてきましたが、変わらずにある人々の営みと水の流れ、そして朝市には、400数十年の歳月の重みを感じるとともに、これからも変わらずにあって欲しいと願わずにはいられません。
天正14年(1586)金森長近は、豊臣秀吉に手腕を買われて飛騨高山に移りますが、そこでも大野と同様の町づくりを推進し、現在にも受け継がれて、確かな見識に基づいて設計された町並みは、日本の原風景としても高い人気を誇っています。