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明治16年(1883)12月1日、廻船問屋能登屋四代目・藤井能三が私費を投じて伏木燈明台とともに測候所を設立、明治20年(1887)4月、富山県に移管、明治25年(1992)臥浦に移転、明治42年(1909)5月1日、港を見下ろす現在の古国府に移転、洋風の木造建築で、当初は2階部分に観測のための望楼があったのですが、昭和13年(1938)にRC造3階建ての測風塔が建設された時に取り壊されました。
昭和14年(1939)に国に移管、中央気象台伏木測候所となり、平成10年(1998)に自動化にともない、無人化して観測局舎を配置、明治から残る気象観測施設は全国的にも珍しく、高岡市によって整備され、気象観測機器などを展示して、平成17年(2005)10月1日、高岡市伏木気象記念館として公開されました。
日本で最初の測候所の創設者・藤井能三(1846~1913)は、私財を投じて数々の公共事業に取り組み、明治2年(1969)に神戸港で蒸気船を目の当たりにして衝撃を受け、港湾設備の必要性を痛感し、伏木港の近代化や鉄道・道路などの整備に努め、次代を担う人材育成のために明治6年(1873)富山県初の小学校を自邸に創立、3年後には女児小学校も設立しました。
明治8年(1875)には岩崎弥太郎と交渉して、三菱汽船を誘致、伏木の経済や物流を活性化し、国内ばかりでなく、ウラジオストクなど世界にも目が向けられていて、時代の先を読み、ビジョンを持って、実行する偉大な経済人、功績は伏木にとどまらず、きわめて大きいと思われます。
測候所と聞いて、具体的なイメージがわかず、所員が温度計や湿度計を見ていたり、空を見上げて天気を判断していたりはしていないだろうとは考えていたものの、現在では数本の計器が突っ立っているだけで自動で観測、瞬時にデータが打ち出されるようになりましたが、旧伏木測候所の中に展示してある機器類は、髪の毛で湿度を測ったり、風車が回って風向きや風力を測ったり、原理はわりと単純で、どこか人のぬくもりの残る機械で、戦争中は軍事機密の気象も人の手によって観測されていたのを知り、あくまでも情報収集の道具で、経験則とか熟練とかに価値のあった時代の希少な遺産にも感動しました。