


大正12年(1923)9月1日11時58分32秒、神奈川県相模湾北西沖80kmを震源とするマグニチュード7.9の関東大震災が発生しました。
両国にあった陸軍被服廠は、大正11年(1922)に赤羽に移転、2万坪の空地が残され、そのうち北側の6千坪を東京市が購入し、公園として整備するため翌大正12年から工事を開始、ほかの土地は学校や公共施設を建設する計画を進めていたその矢先、関東大震災が起こり、直後、周辺から多くの人が被服廠跡を目がけて避難、家財道具を担いできた人も多く、立錐の余地もないほどだったそうです。
16時ころ、地震で発生した火災による熱風に襲われ、家財道具に燃え移り、さらに火災旋風が巻き起こり、人や荷物、馬車までも巻き上げる猛烈な勢いで炎の中に飲み込んで、38015人が犠牲になりました。
「陸軍被服廠跡の大惨事」のこの地に、昭和5年(1930)に東京都慰霊堂が建てられ、関東大震災による遭難死者約5万8千人の遺骨が納められ、関東大震災の惨事を後世に伝え、復興を成し遂げた大事業を記念して復興記念館が昭和6年に建設されましたが、約3万8千人が亡くなった阿鼻叫喚の地獄絵図の中、50人ほどが生き残ったそうです。