インドへひとりで行ったのはかれこれ十年ほど前、現地の旅行代理店でタクシーをチャーターし、デリー、アグラ、ジャイプールと北部の3都市を回っただけですが、そこそこ快適な旅になるはずなのに、観光名所に立ち寄るたびに地元の押しつけ商売人に群がられ、とてつもなくしんどくつらい旅でした。
アグラと呼ぶより、タージマハールのある街といった方がわかりやすいところで、シェラトンホテルに2連泊して、存分に楽しもうと考えていたものの、タクシーが駐車場に入ろうとした瞬間から、たちまちわらわらと集まってきた自称ガイドに取り囲まれ、少し離れた入口までリクシャーに乗っても数人にまとわりつかれ、断っても、断っても、ガイドをさせろと言って立ち去らないので、しかたなしに500ルピー(1500円)を1人だけに払うことでどうにか難を逃れ、タージマハールの中では、黙ってついてくるだけ、タージマハール自体はとても美しく、とても繊細に施された模様には感動して、いつまでもたたずんでいたいくらいで、もし、普通の状態で気軽に入れるものならば、翌日もまた確実に訪れていたのは間違いないところなのに、自称ガイドに群がられることを考えると気が重く、不本意ながら、ホテルでのんびり過ごしてしまいました。
デリーに戻り、ひとりで観光名所を回っていて、運賃の交渉をしてからリクシャーに乗り、電車の駅に到着して、支払おうとした時、「アー・ユー・ハッピー?」と振り返りざま訊いてきました。
最初、どういう意味なのかよくわからず、イエス、などと能天気に答えると、あとで「こいつ、無知は幸いなりだ」などと笑われるのかとも考え、「ノー」と答えた瞬間、「ホワイ?」と素っ頓狂な声を上げ、たどたどしい英語で、「オレはこんなに汗まみれになって働いている。お前はうしろに座って、気楽に観光なんかしている。50ルピーは日本からきたお前にとっては、はした金だろう。500ルピー払え」と身振り手振りを交えて、必死の形相で訴えてきたのですが、もう一度、「ノー」と言って50ルピーを渡して降りようとしたら、前に立ちふさがり、「ユー・ハッピー、アイム・ノーハッピー」と言いながら、「ワンハンドレッド」とにらみつけてきました。
「ノー」と言って、その場を立ち去りましたが、どのような状況であっても、幸せか、と訊かれて、無条件に「イエス」と答えるだけの人生を送ってきていないという認識がありますし、他人と比較してのハッピーというのもまるっきり違うような気もしますし、たとえハードラックな境遇であっても不幸だとは思いたくない意地もありますし、かなり深い質問を投げかけられ、さまざまに思いは巡り、仮にいまこの瞬間でも、「ノー」と答えるかもしれません。
アグラと呼ぶより、タージマハールのある街といった方がわかりやすいところで、シェラトンホテルに2連泊して、存分に楽しもうと考えていたものの、タクシーが駐車場に入ろうとした瞬間から、たちまちわらわらと集まってきた自称ガイドに取り囲まれ、少し離れた入口までリクシャーに乗っても数人にまとわりつかれ、断っても、断っても、ガイドをさせろと言って立ち去らないので、しかたなしに500ルピー(1500円)を1人だけに払うことでどうにか難を逃れ、タージマハールの中では、黙ってついてくるだけ、タージマハール自体はとても美しく、とても繊細に施された模様には感動して、いつまでもたたずんでいたいくらいで、もし、普通の状態で気軽に入れるものならば、翌日もまた確実に訪れていたのは間違いないところなのに、自称ガイドに群がられることを考えると気が重く、不本意ながら、ホテルでのんびり過ごしてしまいました。
デリーに戻り、ひとりで観光名所を回っていて、運賃の交渉をしてからリクシャーに乗り、電車の駅に到着して、支払おうとした時、「アー・ユー・ハッピー?」と振り返りざま訊いてきました。
最初、どういう意味なのかよくわからず、イエス、などと能天気に答えると、あとで「こいつ、無知は幸いなりだ」などと笑われるのかとも考え、「ノー」と答えた瞬間、「ホワイ?」と素っ頓狂な声を上げ、たどたどしい英語で、「オレはこんなに汗まみれになって働いている。お前はうしろに座って、気楽に観光なんかしている。50ルピーは日本からきたお前にとっては、はした金だろう。500ルピー払え」と身振り手振りを交えて、必死の形相で訴えてきたのですが、もう一度、「ノー」と言って50ルピーを渡して降りようとしたら、前に立ちふさがり、「ユー・ハッピー、アイム・ノーハッピー」と言いながら、「ワンハンドレッド」とにらみつけてきました。
「ノー」と言って、その場を立ち去りましたが、どのような状況であっても、幸せか、と訊かれて、無条件に「イエス」と答えるだけの人生を送ってきていないという認識がありますし、他人と比較してのハッピーというのもまるっきり違うような気もしますし、たとえハードラックな境遇であっても不幸だとは思いたくない意地もありますし、かなり深い質問を投げかけられ、さまざまに思いは巡り、仮にいまこの瞬間でも、「ノー」と答えるかもしれません。