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豊川稲荷は曹洞宗の寺院、正式には、円福山豊川閣妙厳寺、嘉吉元年(1441)曹洞宗法王派の東海義易によって建立されました。
豊川稲荷の東京別院は、三河時代に豊川稲荷を信仰していた大岡越前守忠相がダキ尼天を勧請し、屋敷稲荷として自邸で祀ったのを由来とし、文政11年(1828)に信徒の要望により妙厳寺が一ツ木の大岡邸の敷地の4分の1、約250坪を借り受け、江戸参詣所を建立したのが東京別院の創建だそうです。
大岡越前守忠相は、延宝5年(1677)1700石の旗本・忠高の四男として江戸に生まれ、綱吉時代に寄合旗本無役から書院番となり、元禄大地震による復旧普請のための仮奉行、徒頭、使番、目付と幕府官僚として順調に出世、家宣時代に山田奉行(伊勢奉行)として赴任、従五位能登守に叙任、家継時代に普請奉行、吉宗時代に江戸町奉行となり越前守と改め、寺社奉行を務め、奏者番を兼任したのち、三河国西大平1万石を領し、初代藩主となり、家重時代には側用人として幕政にも活躍、吉宗の没後しばらくの宝暦元年(1752)に亡くなりました。
町奉行から大名まで上りつめたのは大岡越前守忠相が唯一、きわめて優秀な行政官であったとともに、高邁な人格で、将軍が代わっても評価され、重用されつづけたのは偉大なことだと思います。
明治20年(1887)一ツ木から下赤坂に移され、現在では首都・東京の一等地、一歩境内に入ると、都会の喧騒を離れた静寂と厳粛な雰囲気が漂っていました。