


琉球王国は、東南アジア各国とも交易を行い、主に明と日本との三角貿易で財をなし、交易港の那覇には明人も居留して、中国の宗教や習慣が持ち込まれ、道教もある程度浸透して、第一王統第二代王・尚巴志王は道教の一派・天一教の天師にあてて奉納し、天師府から符録を賜っていたそうですが、尚巴志王が1439年に逝去し、変わって日本から持ち込まれた仏教が広まって行ったようです。
明と日本の交易には、すべて漢文の文書が作成されていたため、日本においては禅僧が担当していたこともあり、琉球にも禅僧が外交文書作成者として請われてやってきていたそうです。
円覚寺の歴代の住持は、日本僧、琉球僧、中国僧が代わる代わるつとめていたようですが、次第に京都の林下の代表的寺院・妙心寺派の影響が強まって、琉球の仏教界は、日本の禅宗界と密接な関係にあったようです。
芥隠承虎は、金丸が王位を簒奪する際、暗躍していたともされる僧で、権力者の脇には僧侶がいて、陰に陽に活躍し、精神的な支えにもなっているのは、よくある話でもあります。