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ニューオータニは紀尾井町にある日本を代表する高級ホテル、2万坪あった伏見宮邸を東京都に要請されて大谷米太郎が購入したことに始まり、昭和37年、2年後に控えた東京五輪開催でホテル需要が高まり、国内初のユニットバスを採用、カーテンウォールを使用する工期短縮の最新工法、屋上には戦艦大和の砲台の技術を応用した回転レストランを設置するなど、当時の最先端の建設技術を駆使して、1年半で17階建ての最高層でもあった1085室のホテルが建てられました。
16世紀中頃には加藤清正の江戸屋敷として、その後、井伊家の中屋敷として使用され、周囲に、紀州・尾張徳川家の屋敷があったことから地名の由来にもなりました。
4万平米ある日本庭園には、茶室のほか、趣のある料理店もあり、その広さもさることながら、銘の彫られた由緒ある石灯籠が並び、見事な枯山水、豪快に流れ落ちる滝、池泉のまわりには佐渡赤玉石などの名石やサツキなどの植栽を配し、江戸城の濠に接する都心の一等地で歴史と伝統を誇り、隅々まで手入れの行き届いた素晴らしい庭園でした。
創始者の大谷米太郎は、立志伝中の人物、富山県小矢部市の貧農の家に長男として生まれ、明治44年、31歳の時に上京、港湾人夫など職を転々としたのち、相撲取りになるも、酒屋に転身、商いに精を出し、鉄鋼業に乗り出したことで一躍富豪の仲間入りを果たしました。
ホテルニューオータニを創業したほか、浅草寺に寶蔵門を寄進したり、故郷の富山県に技術短期大学を設立したり、その他たくさんの社会貢献も果たし、昭和43年に86歳で亡くなりました。