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仲入り前の18時に浅草演芸ホールに入ると、雨にもかかわらず、なのか、雨のおかげで、なのかはわかりませんが、客席は9割方埋まり、空席を探すのが難しいほどでした。
比較的年齢層の高い善男善女が時折笑いに身を揺すって舞台を見つめ、ゆるやかながら、活況を呈していました。
落語や漫才などの演芸の放送は、チャンネルの増えたいまの時代では、聞こうと思えばいくらでもありそうですが、やはり生で見る面白さは格別で、落語家や芸人の表情がわかり、息遣いが伝わってきて、歩き方からしぐさのひとつひとつまで個性が楽しめます。
言葉は時代とともに変わり、言葉が変わることで世の中も変わって行きますが、江戸のむかしより相も変わらずのばかばかしいお笑いの一席が廃れもせず、根強く人気を保っているのは、ひとつはオチまでの筋書きと、ところどころのおかしみもあるのでしょうし、さらには、ひとり語りの話芸という特性において、噺家自身の解釈による間の取り方、語り口によって面白さが増幅され、いつしか落語の世界に引き込まれているように思えます。
話芸は、稽古を積めば人を笑わせることができるものでもなく、かといって何の精進なくして芸の向上もなく、日常の瑣末な部分までの人間観察や、世の中全体の空気の流れまでも読んだ上での、時代を超え、変わらない人の心に訴えかけてくる芸、ばかばかしくもその中に真実味をちょっとだけ光らせるには、アンテナを張りめぐらせて、感性を磨きつづけなければならず、しきたりを守り、伝統を受け継ぐ噺家という生き方そのものが羽織を着て高座に上がってくるのだという風に思えてきました。