


以後、300年に余る伊達氏の庇護のもと、奥州における曹洞宗の一大叢林として、栄華を誇ったものの、明治維新で伊達氏の庇護を失い、明治9年(1876)には野火に類焼、仁王門のみを残し、灰燼に帰し、以来、山内は荒廃にまかせることとなっていたようです。
輪王寺の衰微を惜しんだ大本山永平寺と総持寺は、明治36年(1903)に福定無外和尚(1881―1943)を住職に特選、無外和尚は寝食を忘れて再建に努力し、艱難辛苦の末、大正4年(1915)本堂と庫裡を完成させ、作庭にも心血を注ぎ、その晩年には、現在とほぼ同じ規模の庭園が出来上がったそうです。
無外和尚以来の復興は、次の日置五峰和尚(1893―1972)に引き継がれ、梵鐘・位牌堂・座禅堂・開山堂が次々と完成、七堂伽藍が整い、庭園も茶室半杓庵が建設され、さらに昭和56年(1981)日置道閑和尚(1926―2009)の時代に、開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、昔日の威容を取り戻すに至ったそうで、長い歴史の裏側には、先人たちのものすごい努力と情熱があったことがしのばれました。
穏やかな水面に映り込む、ツツジやマツやシダレザクラなどの植栽には、一ヶ所に踏みとどまって生命を燃焼させる躍動と潔さがあり、石橋や灯籠などの景物には、周囲がどんなに変化しようとも、未来永劫変わらずにあり続けるという凛とした意志と力強さを感じました。