


桂坂を上ってきた観光客は、視界が開けたとたんに目に飛び込んでくる池に感嘆し、北岸にたたずむ灯籠に心を奪われ、喜々として記念撮影をして、兼六園にきた実感をひしひしと得て、大きな安堵に包まれるでしょう。
大きくもなく小さくもなく、宝珠、笠、火袋から受けにかけての均衡がほどよく、竿が二股に分かれて、短い方は台座に乗り、長い方は池に生け込まれている端正な姿は、水、石、植栽との調和を感じさせ、自己主張のないいとおしさが日本の情緒であって、誰からも愛される理由のような気がします。
観光客の9割は、「兼六園」という情報を確認しにきたのであって、マニアやオタクではないため、敷地の隅々までためつすがめつ眺めるわけでなく、ことじ灯籠を背景にした写真を職場の同僚や友人知人に見せれば一目でわかってもらえて、話も通じやすく、分かり合えて大満足し、「根上がり松というのがあって、松の木の根っこが露出して味があるんだよ」とか「高低差を利用した噴水があって、日本で最古の噴水なんだよ」とか「瓢池のあたりがさびていて、とてもいいんだよ」などと力説しても、「へえ」とか「ふーん」で聞き流されるのが通常で、世間話の範疇では、ことじ灯籠だけにとどめておくのが大人のたしなみかもしれません。
ことじ灯籠自体も、もともとあったものは何者かによって破壊され、現在のは二代目だそうで、そもそもなぜ片方だけ短いのかもよくわかっていないらしく、そういったミステリアスな雰囲気も好きにならずにいられないところでもあり、兼六園を全国的に知らしめている功績は偉大で、立ち姿ひとつですべてを語り尽くす潔さ、そして最大の功労者は、ここしかないと思えてくる場所に置いた作庭者、その美意識とセンスには尊敬を超える衝撃を与えられ、あさはかな能書きを垂れるのは野暮と知りつつも、何か語りたくなってしまう魅力にあらがい切れませんでした。