


京福電鉄嵐山駅からすぐ、広大な敷地にはいくつかの塔頭もあり、法堂を過ぎ、大方丈の裏にある曹源池を中心とした池泉回遊式庭園は見事で、さらに奥へと進み、多宝殿を抜けると百花苑、竹林が地境をつくっていた。
境内の花や草木には、名札がつけられていて、さながら植物園のようでもあった。
後醍醐天皇の菩提を弔うため、寺院建立を企てたものの、室町幕府は南北朝の争いで財政が厳しく、夢窓疎石のすすめもあって、当時、国交の途絶えていた元へ、寺社造営料唐船が10年ぶりに仕立てられることになったのは、太平記に記述もあり、「天龍寺船」としてあまりにも有名だ。
幕府は貿易の成否を問わず一律に金銭を徴収し、のちの勘合貿易の始まりでもあり、綱司に博多商人の至本(一説によると中国人)を立て、思いのほか大成功を収め、とくに元から仕入れてきた陶器が高値で売れたこともあって、莫大な利益を上げた、というが、このことは、現在の日中関係にも少しばかり参考になるところでもあり、面白いところでもある。