先日、知人と話をしていて、私が以前「海外など行きたいところはもう行ったし、やりたいことはやり尽くしたので、いつ死んでもいい」と自慢していた、と言い出したので、さすがに仰天して、「そんなことは言わない」とあわてて否定した。
私が「いつ死んでもいいように生きる」というのは、やるかやらないか、という決断をするにあたり、後悔をしないようできる限りやる方向で取り組みたい、という希望や心がけであり、もうひとつは、ぽっくり逝った時に人に見られて恥ずかしいゴミを早めに処分しておいて、身軽にしておきたい、という理由からであって、「我が人生に悔いなし」とは程遠い心境であり、それは常日頃から私の考えていることでもあり、口にしていることではある。
旅行にしても、周囲の人と話をしたり、旅に関するブログをちょっとでも見たりするまでもなく、私の行ったところなどほんのわずかであって、取るに足りないことは重々自覚しているし、やりたいことなど何一つ実現できていないのに、「やり尽くした」などと言うほどおめでたい低能ではないつもりでいた。
言った、言わない、の子供のけんかのようなことはしたくなかったため、「そのように受け取られたのなら仕方ないが、そういうつもりではないし、あいつがこんなことを言っていた、とあちこちで吹聴しないでもらいたい」とだけ伝えて、打ち切った。
その人は、「1円にもならないことは1cmも動かない」という金儲けに関しては達人の部類であるし、若い頃、いまではかなり大きな組織になった産廃会社にいた時、当時小さかった会社の若い二代目の専務と毎晩のように「議論」をして、大いに気に入られていたそうで、とても立派な人なのだが、最低限他人の話を言葉のまま受け取ってもらえないと、少なくとも私とは「議論」などすることはない上に、もう二度と話もしたくないと器の小さい私は思っている。