映画会社の運営するシナリオ講座に通っていた頃、仲良くなった同期生たちと、東京競馬場へ皐月賞を見に行った。
時代はバブルの真っ只中で、地上げ屋の馬が数頭出走していたし、競馬でデートなどという軟弱な流行のハシリでもあり、スタンドの様相は少しづつ華やかに変わりつつあった。
私たちは新宿で待ち合わせして、競馬新聞に赤ペンというオーソドックスなツールを手に、京王線の座席で揺られながら検討し、16時10分前には黙り込むしかないような思い思いの予想を熱く語り合っていた。
私は、上京したその日に新宿の場外馬券売場に行き、オペックホースの勝ったダービーの馬券を投票して以来、毎週毎週、JRAの売上に貢献していたため、同行者の中ではキャリアだけは積んでいたが、ほぼハズレつづきの「バカの横好き」というほかなかった。
皐月賞は、西浦勝一の乗る人気薄のヤエノムテキが抜け出し、2着には更に人気のないディクターランドが飛び込んできて、高配当、的中者はいなかったが、この後、同行者の「馬券必勝法を探す旅」に付き合うきっかけとなったレースだった。