18歳の私は、昼間パチンコ屋でアルバイトをし、夜は都立高校の定時制に通っていた。
朝9時に出勤し、店内の清掃や盤面の汚れを落としたりして、10時の開店を迎える。
当時、777が出始めたばかりのころで、数字がそろうと、千両箱を持って駆けつける。
フィーバーすれば、ほぼ間違いなく打ち止め。
玉を集める大きな入賞口が開閉して、大量の当たり玉が一度に入るため、出っ放しになる。
出玉をかきださないと、玉が盤面に飛び出していかなくなるので、店員に持ってこさせないと、パニックになってしまうのだった。
まだ、雀球や、チューリップ式の台もあったし、店のなかはのどかなムードが漂っていた。
しかし、777が出て、一変した。
釘によって、出たり出なかったり、というパチンコが、数万円持っていって、何回数字をそろえるか、というギャンブルになったのだから、客の目の色も変わってしまった。
私は午後5時になると、歩いて学校に向かった。
昼間の高校生が帰宅する道を、逆に進んでいくのだった。
4クラスある、定時制としては比較的規模の大きな方だと聞いた。
私は、1年A組。
最年長だった。
周囲の連中に誘われて、軟式野球部にはいった。
8時40分ころに授業の終わった後、照明のなかで練習するのだった。
近所に住んでいる先輩が、仕事の後にノックをしにきてくれるのだ。
私はライトを守っていたが、ボールがよく見えなくて、何度も後逸した。
フェンス際の草むらで、ボールを探すために入部したようなものだった。
練習が終わり、みんなで私鉄の駅に向かう途中、いろいろなことを話し合った。
中学時代のこと、仕事のこと、先輩のこと、暴走族のこと、・・・。
私には彼らの話が新鮮で、おもしろかった。
将来のことなど考えられなかったけれど、目の前のことで手一杯だったけれど、みんないいやつらだった。
いまごろ何をしているのだろう、と時々思い出すことがある。
朝9時に出勤し、店内の清掃や盤面の汚れを落としたりして、10時の開店を迎える。
当時、777が出始めたばかりのころで、数字がそろうと、千両箱を持って駆けつける。
フィーバーすれば、ほぼ間違いなく打ち止め。
玉を集める大きな入賞口が開閉して、大量の当たり玉が一度に入るため、出っ放しになる。
出玉をかきださないと、玉が盤面に飛び出していかなくなるので、店員に持ってこさせないと、パニックになってしまうのだった。
まだ、雀球や、チューリップ式の台もあったし、店のなかはのどかなムードが漂っていた。
しかし、777が出て、一変した。
釘によって、出たり出なかったり、というパチンコが、数万円持っていって、何回数字をそろえるか、というギャンブルになったのだから、客の目の色も変わってしまった。
私は午後5時になると、歩いて学校に向かった。
昼間の高校生が帰宅する道を、逆に進んでいくのだった。
4クラスある、定時制としては比較的規模の大きな方だと聞いた。
私は、1年A組。
最年長だった。
周囲の連中に誘われて、軟式野球部にはいった。
8時40分ころに授業の終わった後、照明のなかで練習するのだった。
近所に住んでいる先輩が、仕事の後にノックをしにきてくれるのだ。
私はライトを守っていたが、ボールがよく見えなくて、何度も後逸した。
フェンス際の草むらで、ボールを探すために入部したようなものだった。
練習が終わり、みんなで私鉄の駅に向かう途中、いろいろなことを話し合った。
中学時代のこと、仕事のこと、先輩のこと、暴走族のこと、・・・。
私には彼らの話が新鮮で、おもしろかった。
将来のことなど考えられなかったけれど、目の前のことで手一杯だったけれど、みんないいやつらだった。
いまごろ何をしているのだろう、と時々思い出すことがある。