子供のころ、父と私は、たまに海へ魚釣りに行った。
父は海が好きで、ハンドルのついていない、たらいのような小さな黄色いボートを買い、エンジン自体を操作しながら、日本海へ乗り出して行くのだった。
私は泳げないので、海に落ちたら助からないのではないかと考えて、いつも不安だった。
その日も、キスを釣るために、えさのゴカイを買って、バスに揺られて、ボートを置かせてもらっている知り合いの家へ出かけた。
河口から、海へ出て行く時が一番気持ち悪かった。
にごった水がとうとうと流れ、右手の防波堤では釣り人が思い思いに釣り糸をたれ、漁船やサルベージ船が停泊しているのを横目に、小さいボートがゆっくりと進んで行く。
船が通るたびに、防波堤と堤防にぶち当たった波が、私たちのボートを容赦なく揺らした。
海に出ると、水の色は緑色に変わり、水平線の方は真っ青にきらめいていた。
陸地が遠ざかると、ため息が出た。
海水浴場にいる人々がごまつぶほどになると、いかりを下ろして、釣竿をひっぱり出してくる。
ゴカイをつけて、少し投げて、しばらくすると、あたりがくる。
子供でも、けっこう釣れた。
一度に、二匹、三匹取れることもよくあった。
シロギスに混じって、カワハギや小さいフグがかかることもあった。
一時間足らずで、クーラーボックスがいっぱいになると、帰り支度をはじめる。
私は、何かの拍子に、釣竿を手から放してしまった。
「あっ」と声を上げた。
スローモーションのように、釣竿がゆらゆら沈んで行くのが見えた。
私は、父が飛び込んで取りに行くのではないか、何で落としたのかと叱責されるのではないか、ととっさに考えていた。
私は父の方を振り返った。
父はいかりをひっぱり上げていた。
「さおは? ・・・」
「落ちたものはしかたない」
「・・・」
「帰るぞ」
ボートのエンジンをかけると、ゆっくりと発進させた。
私はボートのへりにつかまって、海の中を見つめていた。