淡々と書き出しましたが
当時の私は毎日泣いてばかり
45歳にもなって
孫ちゃんも出来て
婆ちゃんなのに、、

色々と考えました。
手術をすることは延命である。
自然に任せるべきでは?と思い
何もしなければ、どれだけ生きられますか?
『1年から2年です』と、、

もういいかな
もういいや

と言っても 両親や娘達に説得された次第です。

ていうか
私はまだ信じられませんでした。

ほんま?嘘やろ?

パッパラ〜♪と音楽が鳴り
ドッキリでした〜 と
なることを 毎日思っていましたよ。
(お前は芸能人か!笑)

馬鹿ですよねぇ。



さて、術日が決定し 後2週間ほどしかない、、
気持ちの整理がつかぬまま準備に追われる日々
もうやめてもいいかな⁇ と言い続け
笑って誤魔化され の繰り返しよ。

3月3日は初孫の初節句なのに
入院日なんて最悪な婆ちゃんね。
可哀想な長女と孫ちゃん
ごめんね。
と今でも思っている。

3月5日手術当日も ええ歳して 怖い と麻酔が効いて眠るまで涙が止まらず泣き続けていた私。
7時間ほどして病棟へ
長時間もの間 待ち続けて居てくれた父と妹
私より辛かっただろうに

遠いとこごめんね。有り難う。
早く帰って休んで。気をつけてね。

持病の腰痛と20㎝の切腹の痛みで横向きのまま もう夜で暗かったのとで まともに顔も見ずに同じことを繰り返し言ってました。

約2日間の絶飲食、お腹の中を掻き回された事はないけれど そんな感じの強い痛みの中

あぁ〜 二度と切腹なんかするもんか!

と 心に強く誓いました。

そしてとても順調に行っていたが
術後10日目の夕方 急に悪寒が走る
38.7度‼︎
段々と お腹の痛みと足の痛みが強くなり
歩行困難に、、
次の日の朝 血液検査と内診をした。
腹にリンパ液が溜まって袋が出来ている
痛すぎて大量の冷や汗と涙が止まらない
針を刺して 液を出し、、
もうグッタリよ。
目まいがして歩けなくて
病室まで車椅子で送ってもらった。
はい、入院延長〜
朝晩の抗生剤を点滴で2本し続けて
腹は勿論の事 左鼠蹊部の痛みが取れない
まま 左足を引きずりながら
歩行器で歩行していました。
結局それから8日ほど点滴したかな⁉︎
白血球が正常範囲内になり
退院が出来たのは
術後20日目の3月25日でした。

 ~つづく ~