序章
日本を発ち20時間後。僕は中東に降り立った。
強度の二日酔いが残り、出発前日にボロ日産サニーを後輩に譲ってナンヤラカンヤラしていて疲労が残る中、成田を出発した。
僕は飛行機で快適な時間を過ごしていた。ヒッチハイクで移動するのとは違い、やはりお金を払って乗り物に乗ることはとても楽な事だ。人に気を使う事もなく、酒を飲み音楽を聞き、本を読んで、寝ていれば目的地に着いてしまう。
モスクワで乗り換え 4時間、次の飛行機を待つ。モスクワの飛行場は、社会主義の匂いが強くはびこっていた。なんだか照明がやたらと暗いし、空港のスタッフ、免税店の人々に笑顔はない。なんだか、気分が暗くなってきてしまう。ビールが安かったので、ハイネケンとキャビアの缶詰を買い一人宴を行っている間に、次のフライトの時間がやってきた。
アエロフロートのアンマン行きは、とても乗客が少ない。そして飛行機もとっても小さい。通路が一つしかなく両側に席が3つといった感じだ。とても何カ国もの国の上空を飛べるとは想像しがたい飛行機だった。まっあまりいちいち心配してられない。さっさと機内食とワインを飲み熟睡した。
着陸の時、乗客の乗っていない席が前に倒れ 飛行機のボロさが浮き出たぐらいで大した問題はなかった。
ヨルダンの首都アンマンに着いたのは、深夜の1時。はじめての土地なので、へんに外に出ても危ないかもしれないので、空港で朝を迎えることにした。そこで、日本人の3人の方と出会った。2人は、ヨルダンから上にのぼっていきギリシャに向かうという。もう一人はというと、イラクに行こうとしていた。やはりいた、こういう人。彼は、なんとか自分も戦争を止めさせなければならないっと、いきこんでいたのだった。物静かながら熱い意志を持った方だった。話を聞くと、僕と同じ日大の国際関係学部の卒業生だった。さすがは、日大。人も多いし、ばかも多い。そんな彼らと、空港を出てダウンタウンに向かい宿を探す。ドミトリーは一泊、約600円だった。
アンマンの天気は、かなり激しい雨の上に 寒い!! なんかイメージと違う天候だった。最近、アンマンでは通常の時期に比べても、雨が多いのだそうだ。そういえば湾岸戦争が終わりサダム・フセインが敗戦宣言をした時もヨルダンでは、雨が降ったという。もしかすると、この陰険な雨は、中東の涙なのかもしれないと、ぼーっと空を見ながら思うのだった。
※この日録画したテープ内容
・モスクワ ○○分
・アンマン空港 ○○分