昭和50年、私がまだ小学6年生の頃、当時流行っていたのがブルースリーだ!ヌンチャク

を使い中国拳法で悪者をバッタバッタと倒していく痛快な映画だ。ドラゴンへの道はなけなし

のおこずかいで友人と2回も見に行った。そしてその友人のお兄さんが少林寺拳法の拳士で

明日、不入斗中学校で少林寺拳法の大会があるんだ!一緒に見に行こうよ!と誘われ見に行った

のが少林寺拳法を目にする始めての出来事だった。友人のお兄さんは今で言う僧階を持っていた

ようで法衣を着て演舞をしていたのを覚えている。ブルースリーと比べるとさほど派手でもなく

何よりも後ろ回し蹴りがないのとアチョー!という怪鳥音がないのが物足りなさを増幅していた。

それから半年が経ち、私も中学1年生になった。中学校近くの通学路には少林寺拳法横須賀

中部道院という道院があった。この道院こそ伝説の人三崎敏夫先生が作った道院であった。

牙気という漫画の主人公の三崎というのは三崎先生がモデルらしい、とにかく色々伝説がある

先生で当時右寄りだった道院には道場破りが来たそうな。そんな時、先生は目打ち金的蹴りで

ケリをつけ丁重にお帰りになってもらったそうです。そしてその年の昭和51年思いもよらぬ

事で少林寺拳法がマスコミの話題になってしまったのだ。中部道院の拳士が暴走族に手を出し

運悪く命を落としてしまったのだ。開祖と共に少林寺拳法の基礎を築いた三崎先生は横須賀

ブロックの責任を取りそれ以来、三崎先生の名前は表に出て来る事はなかったのです。当時

の三崎流を知る先生は皆50歳オーバーの道院長、横須賀は三崎先生の意思を継承する唯一の

ブロックとして今なお指先の形まで教えているんだよ。と、偉そうにウンチクを交えて過去の

記憶を思い出し書き出したが、実は私が少林寺拳法を始めたのは40歳を過ぎてから。残念

ながら三崎先生から直接の指導を受けたことがないのが残念でならない。でも直筆の書を持って

いるのが自慢です。演舞を見る時はBGMをオフにして下さい。








この演武は後に三崎先生ではなく真鍋先生、作山先生お演武と判明しました。申し訳ない。

昨日、長男の神奈川県公立模擬試験の結果が送られて来た。受験予定の○○○○高校の


志望受験者でなななんと成績順位が1位!おっお前すげ~な~!だがオヤジは言った。


お前の志望校を受験する全員がこの模試を受けた訳ではないんだぞ!この三倍の受験者


は居るんだから油断は絶対するなよと。全国順位は67214人中11326番目、上には↑が


居るんだぞ!お前の夢の仕事、通訳に向けて頑張れ息子よ。内申書には少林寺拳法初段


としっかり書いてもらうんだぞ。



ガレージやまさん k2powerdのブログ

                第一、第二、第三希望まで的確に分析してくれる模試なのだ