ここんところ、バイクで転んで怪我したり、母親が亡くなって葬式したりで、バタバタしていたのですが、その余韻なのか、どうも調子が悪い。体調が悪いと言うよりも、メンタルが下降気味で、そのまま低空飛行している感じではある。それでも、昼夜逆転は直り、朝は起きられるのですが、昼寝したりして、ちょっと不規則ですね。そんな生活だと駄目なんですが、まあ、休養と思って家に籠ってます。ただ、メールの設定が変わってしまったのか、Webメールに入れず、メールのチェックができないのがちょっと痛いところではある。と言うかかなり痛手である。何とかしないとね。でも、情報管理室の人達って基本、我々を馬鹿してるよね(嫌味なんですが)。メールだけでもチェック出来ると有り難いんだが。無理かなあ〜。
そんな中、Twitterで繋がっているクマオさん(垢名)から、DD. Recordsの音源を送ってもらった。初耳の方も多いと思うので、少し説明しておきます。DD. Recordsは山梨大の鎌田さんが80-84年の間やっていた自主制作テープ専門レーベルのことです。元々は、カセットに自分の買ったアルバムや自分の曲をダビングして交換すると言うカセットテープ交換サークルから発展したレーベルで、250作以上の作品をリリースしていた。それも、鎌田さんのコンセプトによるもので、「来るものは拒まず」、よっぽどでない限りリリースしないことはなかった(送られてきた作品でリリースしなかった作品は無かったんじゃないか?)。しかも、リスナーは気になった作品を選んでオーダーすると、カセット代(クローム)とコピー代(DD.Recordsでは4枚のB5版コピーアートワークが付いていた)及び郵送代だけを支払う。するとその作品をダビングして送ってもらえると言うシステムだったんです。儲けなし。余分な費用なし、完全アマチュアリズムな正に「自主制作」であった。扱う音楽も、ライブバンドというよりは、宅録アーティストが主ではあったのだが、彼のコンセプトから玉石混合なジャンルを扱っていた。最後は、主催の鎌田さんが就職で、名古屋に移って暫く続けていたのだが、ある時からプッツリと連絡が取れなくなってしまった。そんな真のアマチュアによる「自主制作」レーベルが、DD. Recordsであったのだ。(因みに、私も3〜4本出してもらっている。) 既に、一部の音源は作者の許可の元、選曲されてコンパイルされ、Yoshimatsuさんの2枚組LPsやKasugaiさんの5枚のLPとしてリイシューされている。当時はカセット作品を鎌田さんと少しだけ交換していたが、その全貌は知らなかった。なので、今回、多量のデジタル化された音源を聴く機会に恵まれて、本当に良かった。クマオさんとかタンジェリンさん(垢名)の趣味もあるだろうが、それでも、今まで聴いたことの無い等身大の音楽を聴くのは楽しいし、ドキドキする。これを何とかアーカイブ化できないものか?と画策しているが、founderの鎌田さんに連絡が取れないことや、当時の中心人物にも連絡が取れないことなどで、アーカイブ化は頓挫している。「80年代初頭の日本のスポンティーニアスな音楽」がこのまま、埋もれてしまうのはホント!残念である❗️せめて、独Vinyl-On-Demand辺りが10枚組位で出してもらえると嬉しいのだが、版権の面で難しいか。
心は晴れないけど、こう言うちょっとした(凄い)楽しみもあるので、まだ死ねないね。まあ、死ぬつもりはないけど。何だかなぁ。世の中、上手く行きませんわぁ。それに、今もモデュラー沼に両脚を突っ込んでしまっているので、また、新作も作らなきゃならんしね(←心が晴れなきゃ音楽も出来んけどね。)。先ずは、とりあえず、ゆっくり休養して、また働こう。それで、ちょっと気になったツイートがあったんですが、「何で好きなことを仕事にしなかったのか?人生の時間は有限なんだよな」と。そうなんだけど、親に財力もなく、才能も中途半端で、機材もチープ、そんな自分に若い内から投資できんよね。でも、一回こっきりの人生だからこそ、色々やりつつも、進んでいけばいいのかなとしみじみ思う。60歳手前にしてまだ迷うとはこのことか?何とか今週末には回復したいものですね。そんな訳で、単身赴任の日々は続いていくのでした。
おしまい。
音楽は常に「良い」