本日、いつものかかりつけ医に行ってきました。もうこの薬飲んで、30年弱になりますね。そう、抗うつ薬と眠剤。これがないと眠れないしね、でも、ちょっとは減らしたいんですが、中々、そうする勇気がないですね。眠剤はかなり強力なのでねぇ。何とか日常生活は送れていますが、偶に下手に連休になってしまうと、気が緩んで、夜更かししてしまい、それで、夜昼逆転してしまいます。特に今、単身赴任なので、歯止めがなくて、ついつい、寝ちゃいけない時に寝たり、起きるべき時間に起きられなかったり、挙げ句の果ては、夜昼関係なくずっと寝てしまいます(これは眠剤のせいではないです。)。初めの段階で、もうちょっと真面目に服薬しておけば、よかったんですが、当時は、仕事関係で、ちょっと疎外感に苛まれていたこともあり、自暴自棄になったりしてたんですね。だから、メンタル弱いんですよ、ほんと。それから、普段、私は夢を見ないんですが、ただ幸いと言うか、こんな風にだらだら寝ていると、夢をみるんですよね。不謹慎なんですが、そんな時は夢を見ることが楽しみなんです。でも、人は、夢を見ることで、脳のリセットができるのでは?と思ってしまいます。だから、夢は見た方が、メンタル的には、良い傾向だと何となくそう思っているんですよ。今の職場の人はほんと、職場だけの付き合いなので、余計なことを考えずに済む反面、少し寂しい気もしますが、社会での仕事場なんてそんなものでしよう。


 この前のブログでは、バイクで転んで、血塗れになったことまで書きましたが、その後、約2週間前に母親が亡くなりました。その少し前に何となく気になって電話してみようかな?とも思っていただけに少し悔いが残りました。「いつまでもあると思うな、親と金」、亡くなった父親がよく言ってましたね。これで、血が繋がっているのは、小家人だけになりました。でも、遠距離だし、今、コロナ禍で、中々、会えないんだよね。父親としては何だか寂しいな。嗚呼、早く定年を迎えたいもんです。でも、今、研究の方で大規模な研究テーマを持っており、色んな先生方との協力が必要なので、そうも言ってはいられないんですが。話しを元に戻すと、天然のちょっと入っていた母親が亡くなって、でも、看取れずにいたのは何だかなぁとも思う訳です。認知入っていた為介護施設に入っていたので、コロナ禍の中、会うことはできなかったとは思うんですが、まあそれでも90歳で、寝ている間に呼吸が止まっていたとのことで、苦しまずに死んでしまったというのは、まあ大往生でしょう(と考えるようにしてる)。お墓も、永代供養にして、父親のお骨と母親のお骨を一緒に納骨しました。でも、あの、焼却場って言うのは、何だか不思議なところだよね。亡くなったと言っても、まだ人の体を成している死体が1時間ちょいで、バラバラの骨だけになってしまうのだから。あの「変化」は凄まじいとも思えるな。母親っ子であった私は、今回はちょっとその変化の落差に軽いショックを受けたな。(最近、してないけど、)病理解剖もしている病理医なのにね。人の情っていうのはあるんだね。でも、これで、父親と母親はあの世で仲良くお話ししたり、夫婦漫才してりしてるんではないでしょうか。そう思えることがせめてもの救いです。でも、今回、こじんまりと家族葬だったので、楽だったけど、慌ただし過ぎて、ちょっと疲れた、正直。それで、戻ってきたら、睡眠のリズムが崩れちゃったんだよね。まあ、仕方ないか。


   それで、今年は学会が悉くWeb開催になったり、延期になったりで、充分にディスカッションも出来ず、また、出張も出来なかったので、纏めて職免に出来ず、その分、執筆も滞りがちで、この時期、ちょっとストレスが溜まっていたようなので、ポジティブに考えて、まあ、学会代わりの休みにしました。社会不適合者な私にはそう言うガス抜きが必要なんですよ。かと言って、音楽が出来る訳ではないんですけどね(←そんな気力も余裕も無い)。


 今週末に米国のNorCal NoiseFestにビデオで出る予定でしたが、それも間に合わず、でも、主催者がやっているローカルTVで、K2のスタジオライブ映像が流されるみたいです。本当なら、来月はNYCでもヘッドライナーとして別のフェスに招聘されていたんだけど、当然、中止。中々、世の中、上手くいかんですわぁ❗️来年はどうなっているかわかりませんが、フェスはともかく、学会くらいは開催してもらいたいですね。なんてことを考えつつ、お休みなさい💤 

 今回は音楽ネタでなくて、ごめんなさい。


今飲んでる眠剤。so heavy

Soloist Anti Pop Totalitarian のジャケですが、何となく火葬場っぽいので。

母親は認知症でした。


K2 スタジオライブ(抜粋)