大学に入ってやりたかったことの一つにバンドがある。勿論、田舎の高校生の時にもパンドらしきものを集まってやつたことはあるが、いかんせんハードロックとかジェフ・ベックとかで時代が止まっていた田舎では、演奏するのはDeep PurpleのSmoke On The Waterが定番であった(それすらもちゃんと演奏できたか怪しい)。前にも書いたが、私は高校生の時にパンクとその後のポストパンクやオルタネイティブ、インダストリアル・ミュージックに心酔していた訳で、当然、話しの合う友人は一人としていなかった。という訳で、東京の大学に行ったら、そう言うバンドをやりたかったのだ。しかしなから、大学内でも音楽の趣味は浮いていた。それで、何故かは分からないが、パンク雑誌DOLLにメン募を出したのであった。今から思うと顔から火が出るような文章であったように思うが、とりあえず、3〜4人が返事をくれたので、実際、会ってみた。そこで、やっと自分の趣味に近い人と出会うことが叶った。ただ、皆んな個性が強いというかクセが強いというか、一筋縄ではいかない人々でもあったが、学外の友人として付き合うことになった。また、その友人の友人ということで、更に輪が広がった。
とりあえず、録音機材をもつていたのは私だけだったが、4人で、2’30”づつを分け合って、今で言う4way split cassetteを作ることになった。それが”Self Plan Omnibus”である(Self Planは元々私の始めた自主制作レーベル)。参加者は河合くん、原くん、私、平本さんの4人。短い尺の中で、それぞれのプリミティブな個性が凝集したいい作品になったと思う(ポップ、インダストリアル、プリペアード・ギターなどから成る)。皆んな、今でも音楽に関わっているのが、嬉しいね。
それで、バンドの方であるが、それぞれの個性が強すぎて、固定メンバーのバンドは出来なかった。それでも、一緒にレコード聴いたり、話したりするのは楽しかったし、一回合わせようと言ってはスタジオに入ったりして、取り止めのないジャムセッションをやったり、誰かが作った曲をやったりするのはもっと楽しかった。また、友人の学祭に即席バンドで出たりもした。その時のパンド名は「ひがみ」とか「森田健作」とか「単身赴任」とか「アンニュイ」とか「The Immunes」とか名乗っていたが、一番長く続いたのは河合くん主体の「ひがみ」であった。私はシンセとクラリネット担当。ベースはその後、ILL BONEに加入。音源が残せなかったのは残念であったが、いつか残っている音源を寄せ集めて出したいものである。そんなことはやっている内に、私は学業の方が忙しくなり、また、基礎医学に興味が移り、音楽から遠ざかるのであった(まあ、ライブとかは女友達と行っていたけどね)。ちなみに「アンニュイ」は1曲だけ録音してメールアート関係のコンピに収録されたが、Merzbowの秋田さんから絶賛された。結局、私自身は自分のパンドをやることは出来なかった(というのも、多重録音で、一人で大体できてしまうからか?)。
その前後位から、でっち上げパンドを名乗っては、カセット作品を作り、一人悦に入っていたものである。その際たるものが、Techno Mensesである。シンセとヴォーカル担当の坂下兄弟とエフェクト担当の私から成るテクノポップな「バンド」である。初期Human Leagueを目指したら、結果、「軍歌をテクノで演る」と言う曲調になってしまった。そして、名作. “Requiem In The Sun”をリリースした(実は、その前にもはHopital In Vainと言う匿名テクノバンドでもカセット作品”Reborn”を出していた)。
そして、ちょっと飽きてきたら、今度は、当時、大ファンであったアメリカのFlipper的なロックをやってみたくなり、The Bikini Pigsと言う「バンド」を作った。これはヴォーカルの沢野くん、ギターの真島くん、ベースの和久本くんに、キーボードとリズムポックスの私と言う編成にした。スローでヘビーなギターのリフとミニマルなベースから成るrawなサイケ・パンクバンドであった。FlipperとJesus & The MaryChainを混ぜたような音楽を奏でていた。この編成で1本カセット作品”Hawaiian Speed”を作った。個人的には割と気に入っている。それで今度は、ギターの真島くんが抜けたことにして、残りの3人で、全然曲調の違うカセット作品”When The Mushroom Man Is Laughing”を作った。これはかなりサイケ度が高い曲からなり、極端に湿っぽい音楽になってしまった。ヴォーカルとギターを沢野くんが、ベースとギターを和久本くんが、オルガンとリズムボックスを私が担当していることにした。この路線も、テクがない私には1作が限界で、これら2作品をもって、The Bikini Pigsは「解散・消滅」する。これが1986-1987年である。その後、暫くは大人しくしていたのであるが、90年代に入って、ヴォーカルの沢野くんが、Big Blackみたいなマシーン・ジャンク・ロックを演りたいと言うことにして、ヴォーカルとギターに沢野くん、ギターに木沢くん、ベースに石井くん、そしてRolandのドラムマシーンと言う編成で、Spot On Panties(何というバンド名!)を演ることにした。極端に低音を切ったザクザクなギターのカッティングとフィードバックから成るヤバい曲から成るカセット作品”Panties Go To The West”を出した。単純だが、それ故に強度も高い曲である。そしてSpot On Pantiesも「解散・消滅」する。ここで、私のでっち上げパンド経歴は一旦終了することになる。
私はと言うと、90年代以降は基本的にノイズ・ミュージックしかやっていない。その文脈で、再度、Techno Mensesをテクノイズ・パンドとして再稼働することにした。90年代には電子雑音からミニマルなテクノイズを奏でる”Lazar Blade 2”をCDRで出し、更にオランダのDe FabriekとのスプリットLP”Rhythm Monster”を出している。そして、何と!Techno Mensesは東京のOn Sunday’s で最初で最後のライブを敢行したのである。その後、多少落ち着いていたのだが、00年代に入って、任天堂DS-10を手に入れたことから、再び、Techno Mensesは復活する。しかも坂下兄弟の弟は亡くなったとの設定で。今回は、完全成る打ち込みで、殆どの音をDS-10で作り上げている。結局、この編成でのTechno Mensesは”Scum Technology” 2CDを出すことになる。変拍子を多用したテクノとテクノイズの中間を行く踊れないダンスミュージックであった。これはまだ中古があると思うので、興味のある方は探して聴いてみてください。
ここまで、書いてきて、壮大なウソや妄想から色んな「パンド•サウンド」をやってきたのだなあと思う。結局、私が一番協調性がなかったのではないか?とも。
そんな私であるが、ホントの「パンド」を今、やっている。それが、マルチインストルメンタリストの石橋英子さんがドラム、インキャパのF. コサカイくんがギター、私がエレクトロニクスと言う編成で、年に一度しかやらない。練習はしない。出たとこ勝負。と言うコンセプト(?)でやっているRNAである。今のところ4〜5年続いてます。一番最初の演奏はアメリカPhage Tapesから2本組カセット”No New Tokyo”として出してもらっている。一昨年はワンマンまでやっている‼️そのうち、正式な音源を出したいなあと考えております。ちなみにRNAは基本、即興なので、その時の状態によって曲調は変わるが、基本、スーパー・ノー・ウェーブ・バンドと言うことになっている。個人的には、毎年楽しみにしているライブ・バンドでもある。なので、応援よろしく‼️